かぴばら先生は語る

かぴばら先生は語る

毎日を本とのおしゃべりで費やしておりますわたくしが今迄の読書体験で「これはイイ!」と感じた作品を紹介していきます。

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英語の単位、正直取れるか怪しいです。授業中英語でしかしゃべれません。日本語話しましょうよ。だって私は日本人なのだから。

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英語の授業(講義)は週に二回あります。片方の方は日本語を交えながら英語を学ぶという皆さんが知っている典型的な英語の授業だと思います。

この授業に関しては問題はありません。先生が云っている事は理解しているつもりです。なにも困ることはないです。

しかしもう片方の英語の授業が、これが恐ろしいのです。

この授業では日本語の使用は禁止。実質英語で授業が進められ、生徒の側も英語での質問になります。

これは私にとって嫌がらせとほぼ同義ですよ!

英語で進行する授業なんて普通だよ! と云う方もいるでしょう。いるでしょうよ!

かくいう私も高校時代にもこんな授業を受けていたのでこの授業に直面した時そこまでの驚きはありませんでした。

しかしそんな高校時代とは決定的に今の私とは違う点があるのです。

それが頼れる人がいないと云う事です。

高校の頃は、英語の授業中決まって隣の女の子に「今の先生の言葉は何?」とか「何をすればいいの?」とか、いわゆる通訳者を隣の女の子に一任していたのです。なんか最低ですね私。

けれどこの女の子のおかげでその授業を落とすことも無く私は卒業できたのです。

だが、大学での私はどうだろうか?

友達がいない! 話し相手がいない! つまり頼れる人物がいない!

どうすればいいの? 何云っているか分からないんだけど。このまま単位落とすのかな。

そしたら面倒臭いことになるのかな。

宿題がどこなのかも英語で伝えられるので宿題の範囲が分からずやっていなかったってこともしばしば。

と云うかね。日本文学を専攻しているのに英語を学ぶってどういう事なの?

英語を知って何か文学的素養ができるとでも?

いや、まあ、夏目漱石とか英文科でイギリスに留学してたり、芥川龍之介も英文科だったり……

ま、まあ、だけど漱石はイギリス留学の所為で精神がおかしくなったりと。だ、だから英語を学んだら精神に支障を被るってわけで……

苦しい言い訳です。もうやめましょう。

そう、だから英語は学んで損はないんでしょう。けれど受験でろくすっぽ英語は勉強せずに今更腰を据えて勉強する気にはならないんですよ。

やっぱり勉強しなきゃならんのでしょうか。

楽に英語を話せて聞けて理解できる方法ってないのかね。いや無いから苦労しているんだろうけども。

英語を聞いて理解するってところだけでもどうにかしなきゃなあ。

はあ。

と云うか英語の勉強もしなきゃなんですが、それ以外にも来週の月曜までに島崎藤村の「破戒」を読まないといけないんですよね。しかしその「破戒」にとりかかる前に今読み途中の「三四郎」(著/夏目漱石)も読み終えないといけない。

二冊とも読み終えられる自信が無い。

こんなの苦行ですよ、苦行!

久し振りにラノベ読ませろ! 娯楽小説読ませろ! 純文学読んでもモヤモヤするだけなんじゃ! っていうのが現在の心境なのだけれど、だからって純文学を否定している訳じゃありませんよ。今はちょっと心が荒んでいるから一時的に純文学を辟易しているだけなんです。

と云っても何十年か前までは漱石の作品は大衆文学、娯楽小説として捉えられていたとか。江藤淳さんの評論が影響して今日の漱石認識になったそうです。

文芸評論で文学史の認識を変えてしまうんだからすごいものですね。

......ブログ書いてる暇があったら読めよって感じです。

そう云えばついこの前、邦画の「イニシエーション・ラブ」を観たんですね。原作はずっと本棚に眠っているんですが。すみません読んでいません。

最後の五分でなんたらかんたら、って書いていたんで所謂どんでん返しなのか、と思いながらパッケージ裏のあらすじを読んでいました。

今思えばそのあらすじは読むべきじゃなかったな。

そのあらすじにはsideAとsideBの二つの構成でできていると書いていました。その時私の脳がビビっときたんです。

もしかしてこの作品のトリックってこうじゃね?

当たってしまいました。見事に当ててしまいました。面白さ半減ですよ!

こういうのってミステリーを読む者にとっての弊害です。

けれどそのトリックが分かっていても映画の面白さはそこまで激減した印象はありませんでした。

雰囲気といい、役者の演技といい、普通に良かった。

トーリーも最後のどんでん返しまでは面白いラブストーリーですし、なんだかんだ、どんでん返しがよく紹介されますが、それ以外の構成要素も中々良いものです。

80年代後半の描写なんか良いですね。私なんかは年代も違いますから味わえなかった空気です。

松崎しげるの「愛のメモリー」が流れた時なんか、「あれこんなにいい曲だっけ」ってなっていました(笑)

おすすめの邦画ですよ。

イニシエーション・ラブ
 

最後に


今回はここまでです。

私の愚痴を最後まで読んでくれた方がいましたら有難うございます。

本当、無理して読まなくて大丈夫ですよ。話の起伏もあったもんじゃないので。

けれど、それでも読んでくれた方は本当にありがとうございました。

それでは( ´Д`)ノ~バイバイ

PS.読まなきゃいけない二冊

三四郎

三四郎

 
破戒 (新潮文庫)

破戒 (新潮文庫)

 

第20回電撃小説大賞<大賞>受賞作、おすすめ王道ファンタジー「ゼロから始める魔法の書」

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現在アニメも絶賛放送中の「ゼロから始める魔法の書

略して「ゼロの書」!

この作品は第20回電撃小説大賞<大賞>を受賞しているライトノベルなんですね。

傾向的に云えば大賞作品になると今まで考えそうで考えなかった新鮮味のあるキャラクターや世界観、最後は驚愕!? どんでん返しのラスト! と云った凡庸でない一風変わった作品が毎年現れるのですが、この作品は違いました。

悪く云えば既視感のある、とも云えるんですが、やはりそんな一言では片付けられない作品です。

悪く云えばと云いましたが正直云って悪く云える作品じゃありません。

いっそのこと清々しい程に潔い王道ファンタジーです。

魔術のある世界。魔法のある世界。魔女を憎む市民。その裏で暗躍する国家魔術師。

などなど、et cetera

細かく作り上げられた世界観にその世界に息づく個性豊かなキャラクター。

詳しく説明していきましょう!

ゼロから始める魔法の書

教会歴526年―。世界には魔女がいて『魔術』が存在していた。そして、世界はまだ『魔法』を知らなかった。そんな時代、人々に“獣堕ち”と蔑まれる半人半獣の傭兵がいた。日々、人間になることを夢見る彼だったが、その数奇な運命を一人の魔女が一変させる。「―戻りたいのか?人間に。ならば傭兵、我輩の護衛になってくれ」ゼロと名乗る魔女は、使い方しだいでは世界を滅ぼしかねない魔法書“ゼロの書”を何者かに盗まれ、それを探す旅の途中だという。傭兵は、人間の姿にしてもらうことを条件に、大ッ嫌いな魔女の護衛を引き受けるのだが、禁断の魔法書をめぐって人々の思惑が絡み合い…。第20回電撃小説大賞・大賞受賞作!


『魔術』とは魔法陣と呪文、生贄を使って悪魔を召喚する学問。

魔術を使う魔女が存在する世界。魔女と人間は折り合いをつけ豊かに暮らしていた。

ソーレナと云う魔女がいた。この魔女は村に病が流行れば薬を提供するなど人間に対して良心的な魔女だった。

しかしあるとき村の疫病を魔術で治めたところを魔術で疫病を流行らせた村人たちに勘違いをされた。村人は憤りを覚えてソーレナが暮らす森を焼き、最後にはソーレナを火刑に処した。

それを狼煙に王国での魔女の反乱が頻発する。

人間の子から獣の子供が生まれた。所謂”獣落ち”と呼ばれる。

生まれながらにして獣の身体を持った獣落ちの「傭兵」

傭兵は魔女討伐の任を受けるため急いでいた傭兵は運悪く、その道中で魔術師と出会い奇襲を食らう。

魔術師は獣落ちの首を欲している。獣落ちの首は魔術の儀式の生贄として使われるのだ。

魔術師の攻撃から逃げる傭兵。

魔術師の攻撃はおかしかった。基本魔術は先述の通り魔法陣と呪文と生贄を用いて悪魔を召喚するものだ。

しかし攻撃を行う魔術師はそんなものを用いずに魔術を繰り出している。

そこで傭兵は初めて『魔法』と云う技術と出会うことになる。

『魔法』とは悪魔の契約法則の略。魔術を行使する際に儀式をせずに且つ悪魔を呼び出さずに魔術を使うと云う技術であり。熟達すれば詠唱なしに魔術を使うことも可能である。

その魔術師は魔法を使って攻撃をしてきていた。

その最中に出会うのがゼロと云う名の魔女であり、そんな危機的状況を救ってくれたのも彼女である。

そして傭兵は知る。何者かに盗まれた「ゼロの書」と云う魔法の原典を。

読んだ感想


どっぷり世界観に没入できるライトノベルっていうのも珍しいものです。

ラノベと云えば軽快な文章にシンプルで面白いストーリーが基本だと思っていましたがこんなに重厚的で真正面から王道ファンタジーを書くラノベ作家さんがいるとは御見それしました、と云う感じです。

この世界では魔女は憎まれ、恨まれる存在です。

そんな魔女認識から生まれたのが王国内で乱発する魔術師たちによる反乱。

この物語での核となるメインストーリーが魔女VS人間と云った対立。

そしてもう一つ魔女の様に差別されるのが獣落ちです。

獣落ちの主人公、傭兵はどの町に行っても煙たがられる存在です。

また、獣落ちの首は悪魔を呼ぶ際に重宝されるので魔術師たちに狙われる事もしばしば。なので傭兵はどれもこれもすべて魔女の所為だと思っているのです。

こう云う差別認識って現代社会でも形や概念は違えども同じようなことは起こっています。だからなのか色々考えさせられますねぇ。

この傭兵は他の獣落ちとは違って人間の奴隷を連れたり街で悪さをしている訳でもないのですが市民にとっては変わらない獣落ち。この理不尽さには、ほんとなんだかなぁ、と云った感じで、何なんだこのモヤモヤは! と読みながら苦しめられました。

特に傭兵を店に泊めてくれる親切な少女が実は内心では傭兵を利用して店で乱暴する獣落ちを追っ払ってもらおうと画策していたシーンなんかは、何でそんなこと考えちゃうんだよ! 正直に本当の事を云えば傭兵だって手助けしてくれるだろうに、などなど思う節はいっぱいありました。

補足としてその少女は母を獣落ちに殺された過去を持っていたので一概に少女だけが浅ましく不純だったとは云い難いですけどね。

なんかこういう誰々が一概にすべて悪い訳じゃないけどそれって結局悪いことだよね、ってこと現実でも往々にある気がします。

そう考えるとこの作品ってただのファンタジーよりかは結構現実に寄り添っているんじゃないのかな、なんて考えます。

様々な人物の色々な思惑が交差し差別を生み、戦争の引き金を引き、地獄のような凄惨な出来事が起きる。

もしかしたらこの小説は節々に現実の鏡として機能し、物語が進行しているのではないだろうか?

もしかしたらそうかもしれません。

どちらにせよこの作品から皆さんが少しでも何か感ぜられたならばいいなと思います。

最後に


「ゼロの書」は絶賛アニメ放送中なのでぜひこちらも要チェックです。

アニメも終盤ですのでお見逃さずに!

それでは今回はここまで!

バイバイ( ´Д`)ノ~バイバイ

芥川賞受賞作、小山田浩子の現実世界と地続きの不思議世界「穴」をエセ評論してみる

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今回はネタバレ前提で色々書いていきたいと思います。

と云うか既読の方を想定している前提で書かれた文章だと思ってください。

主題になるようにエセ評論をしてみようかなと思います。

まあ、どこの馬の骨とも分からない奴が書く文章なので駄文であることは重々承知の上で読んでくださればと思います。

あらすじ

穴(新潮文庫)

穴(新潮文庫)

 

仕事を辞め、夫の田舎に移り住んだ私は、暑い夏の日、見たこともない黒い獣を追って、土手にあいた胸の深さの穴に落ちた。甘いお香の匂いが漂う世羅さん、庭の水撒きに励む寡黙な義祖父に、義兄を名乗る知らない男。出会う人々もどこか奇妙で、見慣れた日常は静かに異界の色を帯びる。芥川賞受賞の表題作に、農村の古民家で新生活を始めた友人夫婦との不思議な時を描く二編を収録。

エセ評論


主題作「穴」について述べていきたいと思う。

「穴」に登場する人物は以下の通り。

語り部の「私」、私の「夫」、夫の母「姑」、夫の父「義父」、夫の祖父「義祖父」、母屋の隣の「世羅さんの奥さん」、裏庭の堀立小屋に住んでいると云っている「義兄」

この物語のキーパーソンは「義兄」

この人物が何者だったのか最後まで明かされることはなった。

またもう一人のキーパーソンに「義祖父」を据える。

この義祖父が最後突然亡くなることによってそれぞれ登場人物は心情変化していき物語が締めくくられる。

と云うことでこの二人に注意しながらまず最初に今回の語り部「私」について推理していきたいと思う。

この「私」と云う人物の心情が正直終始曖昧だった。

カフカの「変身」の様に出来事を単純に事実として捉えている訳ではない。

云々がうるさいだの云々に対して申し訳が立たないだの感情と云うものはある様だ。

ではなぜこの小説の語り部の文章はとても胡乱なのか?

「私」と云う存在自体が恣意的であるのだと思う。

言葉とは恣意的だ。ならば文章も恣意的なのである。その上で語り部自身が恣意性に富んだ事によってこの小説の空気は一貫して写実的でありながら曖昧な雰囲気と云う不思議なテイストになっているのだと推察できる。

どの様に「私」が恣意性に富んだ人物だと推定したのか説明する。

最初の場面からそれは如実であった。

夫が転勤になり引っ越すことになった。その候補として夫の実家の隣にある一戸建てに引っ越すか、と云う流れになるが「私」はそれに対して多少思案するものの結局は実家の隣に引っ越す事になっておりそこに恣意的である証拠としては十分である。

又、実家の隣に引っ越す当日になったとき様々な事を「姑」が事前に用意していてくれ、それももちろん承認。それ以外にも台所周りの冷蔵庫などの設置場所に関しても「姑」が出しゃばり、それに関しても「私」は頭では疑問に思いながら行動ではこれまた恣意的であり設置場所はすべて「姑」任せであった。

「姑」からのお使いでお金が足りず後日「姑」がお金を返しに来た時も恣意性が如実に表れていた。

「姑」は何を勘違いしたのか返金する額を間違えた。二万四千円足りなかったのを「姑」は四千円返してきた。この場面は「姑」への嫌悪感を感じるのは勿論だがそれ以外にもやはり「私」が恣意的である事実が述べられている。

二万円と云う差は決して小さいものではない。ましてや「私」は無職である。金銭感覚としては敏感になっているはずだ。その上で「私」は新札の四千円を受け取り硬直しながらも結局はそれを受け入れた。

これは紛うことなき恣意性の証左である。

以上のことを鑑みれば「私」と云う人物が恣意性に富んだ人物であることは自明である。

よってこの小説の空気感がどこか不思議である一旦はこの「私」の恣意性が関連していることが証明出来るのではないだろうか。

しかしそれだけではこの空気感をすべて説明することはできない。ではそれ以外の要素とは何か?

それは何と云っても「黒い獣」である。

最終的にこの獣が何の動物であったかは藪の中と云った感じに答えは出なかったがこの物語のターニングポイントで必ず登場してきたのがこの「黒い獣」である。

そして表題にもあるように「穴」は「黒い獣」が掘ったものだと「義兄」は作中述べている。

至る所に穴が点在している。「私」は運悪くコンビニに行く途中でその穴にはまってしまう。

一見物語のなにに関わってくるのか分からないこの「穴」

正直「黒い獣」に関しても物語の何に関わっているのか明確には述べておらず終始わからずじまいであった。

ならば読者はそれを考えなければいけない。

この「穴」と「黒い獣」は物語の何に関係性を持っているのか。

ここでもう一人の登場人物を据えると「義祖父」が関わってくる。

義祖父は毎日庭の水撒きに精を出す謎の老人である。「私」が声をかけても声を出さずに笑みを向けてくるだけである。果たして本当に「義祖父」は「私」の声が聞こえていなかったのか、そこにも論争の価値はあると思うが今回はこの「義祖父」が最後夜中に独り外に出て穴にはまってしまうと云うところにこの物語の何かしらの意味があったのだと私は推理する。

私はその現場に「義兄」と居合わせるとなぜか隣の「穴」に入ることになる。

何故此処で「穴」に入ったのか正直私の脳の限界数値を優に超えた不可解な行動であるのでこれに関してはまったくもって意味が分からないとしか云いようが無いのだがここで重要なのはこの小説内で初めて「私」以外の人物が「穴」に入ったという点が物語を推察する上で肝要なのではないかと思う。

ここで「義祖父」も「私」同様の心情を所持していたのではないか。

「義祖父」も同じく恣意的であったのか?

しかしそれは云い難い。「義祖父」は決まって水撒きをする。雨の日にもだ。

そう云った自身の中で決定した規則性の中で生きてきた人物が「義祖父」でありそれは恣意性の真反対の位置に存在する。

しかし四字熟語にもあるように「表裏一体」と云う言葉があり、それを鑑みたうえで「義祖父」は物語を通して変化、成長していたのではないか。そしてついに表の存在だった「義祖父」は裏に近づき「私」に近づいたのである。

対して「私」は「義祖父」とは真逆の方向に変化、成長したと考えられる。つまり恣意性からの脱却である。

最終的にコンビニの職に就く「私」と云うラストはその成長を表した象徴的なシーンであったと考えられる。

帰する所、「義祖父」と「私」が両者「穴」に入った場面はちょうど二人の表裏が逆転したポイントであると考えられる。

だからその後「義祖父」はすぐに亡くなることになる。では、なぜ「私」は恣意的であったときに「義祖父」の様に身に危険がおよばなかったのかと聞かれればそれは簡単な話で歳の問題に直結する。

単純な話「私」には「黒い獣」や「義兄」、「穴」の存在に耐えれる体力があったまでである。その点「義祖父」は歳を老い過ぎており存在に耐えれる体力が不足していた。

以上のことから鑑みれば義祖父が死んだ原因が少なからず分かってくるのではないかと思う。

しかしこれは私の主観的飛躍のある推察から基づいたものであり反論は重々承知の上である。

それ以外にも多くの謎がはらんでいるこの小説。(「義兄」とか「子どもたち」の存在とか)

唯一断言できるのはこの小説が摩訶不思議であると云うことである。

様々な推論が飛び交うであろう。どれもが正しく、どれもが間違っているのであろう。

答えは帰結しないからこそ答えなのである。

以上で私のエセ評論と云うか推察は終わりにさせていただく。

と云うかもう書くのがだらけてきたのでやめる。

最後に


もうめちゃくちゃです。書きたいことを書いただけなのでもう仕方ないです。

更新頻度がだだ下がっています。

上げていきたいです。

それでは今回はここまで(^_^)/~

穴(新潮文庫)

穴(新潮文庫)

 

ジョブナイル時代の傑作、ライトノベルの原点「妖精作戦」は時代を進めた

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ずっと気になっていてつい最近ようやく読みました。

読んでみてまず文章に圧倒されました。

押し寄せる荒波のような勢いのある文章は初見の私には正直体力がなかったようで最初の方は読むのに手間取ったり、たじろいだこともしばしば。

加えて内容も異常なほどの展開の早さ、風呂敷をこれでもか、と云うぐらいに広げた物語の広大さがこの作品の形成する重要な要素でありこの作品の特徴でもあります。

この作品に影響を受けた作家として有川浩谷川流小川一水などの今となっては有名な作家さんがいます。

この作品をうまく紹介できる矜持はありませんが、しかしそれでもやはりこの作品を少しでも後世の記憶に残し受け継いでいかないといけないと思うのです。

それ程にこの作品が小説の、その中でもエンターテイメント性に富んだ、且つ中高生、若年層に向けた単純なドキドキを伝え得るジョブナイルの、そして昨今でいうライトノベル界の礎的存在と云うか、そう云ったジャンルに大きな影響を与えたのです。

今を知るには昔を知らねば今は知れないのです。

だからこそ若者はいまこそ「妖精作戦」を読まねばならないのです!

そして私は「妖精作戦」を紹介するのです!

妖精作戦

妖精作戦

妖精作戦

 

夏休みの最後の夜、オールナイト映画をハシゴした高校二年の榊は、早朝の新宿駅で一人の少女に出会う。小牧ノブ―この日、彼の高校へ転校してきた同学年の女子であり、超国家組織に追われる並外れた超能力の持ち主だった。彼女を守るべく雇われた私立探偵の奮闘むなしくさらわれてしまうが、友人たちは後を追い横須賀港に停泊する巨大原潜に侵入する。歴史を変えた4部作開幕。


新宿駅で切符の買い方が分からないほどの機械音痴の小牧ノブ。映画をハシゴした帰りの榊は見かねて彼女を目的地まで同行する。

しかし彼女には秘密があった。

彼女は超能力者だったのだ。

それも超国家組織に追われる並外れた力を有した超能力者で何やらその組織は彼女を「月」に連れて行こうと画策しているらしい。

組織は彼女を誘拐しようと様々な刺客を繰り出してくる。

それら魔の手から彼女を守るのは勿論主人公の榊、と思いきや榊は正直あまり活躍しないんですよね(笑)

活躍するのは榊のルームメイトで友人の沖田に真田。ノブのクラスメイトで新聞部部長の鳴海 つばさ。同じく新聞部部員で榊のルームメイト和田。そして自動車部部長の南部。こいつらが高校生とは思えない知恵と突飛な行動力でどうにか組織に対抗していきます。

しかしそこは矢張り高校生。学生の力だけではどうにもできないことがあります。そこを補うのが今回一番の苦労者であろう、私立探偵でノブのボディーガードの依頼を受けた平沢 千明。

輸出用のモンスターバイクCB1100Rをかっ飛ばし、ジャンパーの奥の357マグナムに手をのばし小牧ノブをさらった前の車に照準を合わせる。

その後ろを沖田がバイクで食らいつく。

小牧ノブは難なく取り返すことができたが……

小牧ノブは他の周りの人たちを巻き込ませないよう一人夜に寮を出た。

そのあとすぐに組織に連れ去られる小牧ノブ。

それをたまたま一部始終を見た榊は彼女を救うべく組織の組員に立ち向かうがその試みは呆気なく失敗に終わり榊も一緒に薬で眠らされ連れ去られていく。

連れ去られた先は横浜港に潜伏する巨大な潜水艦。

はたして彼らの目的は!?

読んだ感想

 
基本的三人称なのでこれと云って決まった人物の視点がある訳ではないのですが、だからと云って三人称は様々な視点が次々に変わる人称と云う訳ではありません。基本的には神の視点と云った絶対的俯瞰する傍観者が物語を語るのですがこの作品の三人称はとても多くの場面転換を見せそれと同時に物語展開を見せるのです。

そのことによってこの物語の圧倒的軽快なスピーディーさが如実になり物語展開によって世界観を飛躍的に壮大化させました。

それでいてその世界観の物語で動くのが個性的な面々。

このキャラクター性に富んだ登場人物たちがこの作品の最高の産物なのだと思います。

その時代こういった作品は少なかった。いやなかったと云っても過言ではありません。

それをまず始めたと云った点にこの作品に高い価値があります。

そして今と比べても何ら遜色ないストーリーにキャラクターと云うのがもう一つこの作品の高い価値を証明しています。

もしかしたら昨今のライトノベル作品よりも癖の強いキャラクターたちかもしれません。

そしてこの作品はそれまでの定番を踏襲しているともいえます。

それが典型的な物語の始まりであり核である「ボーイミーツガール」です。

最近では「君の名は」もこの定型に該当するのです。

つまり今でもこの形は大きな市民権を得ている訳です。

それらすべての面白要素を持った上でSF的な重厚感のある物語を軽快に展開している。

もしかしたらエンターテイメントでこの小説は大きな転換期を迎えさせ、具体的には分かりませんが今となっては当然となった価値観をまず初めにその壁をジャンプした作品かもしれません。まあ、ここら辺は私の憶測であり推測です。

そんな色んな事がてんこ盛りの作品「妖精作戦

是非読んでみてください。

最後に


ここまで読んでくださった方有難うございます。

今回はここまでです。

それではバイバイ(^_^)/~

妖精作戦

妖精作戦

 

雑記でも書こうとするが大学約二か月経とうと云うのに友達もいない私の無味乾燥な日常を語っても意味ないな

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私は大学が嫌いなわけではない。

大学の講義はとても興味深いものばかりで、図書館での読書も心地よく、また他にもDVDやBlu-rayなどを媒体とした映像作品を観られる設備もあって大学生活は楽しいことだらけだ。

高校生のころ思い描いていたキャンパスライフじゃないけど……

学友と学問の話に花を咲かすことなんてないし、サークルでの交友関係に笑顔を見せて、女の子と話しちゃったりして、キャッキャ、ウフフで、そんなことあるわけねぇじゃん。

まあサークルにすら入らなかった自分はスタートラインにすら立たなかった奴で落ち度は多少自分にあるのは分かっていますが。

だからって友達一人もできないのはおかしい。

と云うか大学一日目にして周りの奴らはもうグループ形成していて普通に驚いたわ。

お前らどんだけコミュニケーション能力高けぇんだよ。その能力もっと違うところで発揮したら社会にも貢献できるだろ。

私なんかはもう能力つながりで「リセット」したいですよ。

一人遊びが日々うまくなっていって、なんだかなあ。

と云うことで今回は誰も興味ないであろう私の一日でも紹介していこうと思います。

大学に辿り着くまでの道程


私は五時起きである。母から起こして貰うのが通例だ。母には感謝してもしきれないだろう。


起きてすぐに朝食を食べて、その後二度寝。約十五分後に起きて洗顔をする。

そして重い足を一歩一歩確実に踏み出して私は玄関を出るのだ。

最近は玄関開けてすぐに朝とは思えないほどの強い陽光の照射が私の身体を攻撃して眉間に皺が寄るのは必須。

それでも大学に辿り着くため私は振り向かずに前に歩を進める。

最寄り駅までは約三十分。最近は慣れてきたのか約二十分で着くことができるようになった。

駅までの道程はiphoneで音楽を聴く。最近は物語シリーズ恋物語」のOPテーマ「木枯らしセンティメンタル」を聴いている。貝木泥舟の声がいいんですよ。

そして人がひしめき合う駅に辿り着く。ここでもう辟易とする。こんなにも多くの人がこの街にいたのか。少子化問題が提起されるが大人は増える一方だな、と毎日思う。

リュックを前に抱えて満員電車に乗り込む。最初の二つの駅は乗る人もまばらだが三つ目の駅はどうしてあんなに多くの人が乗り込むのだろう。そのほとんどがその次の駅で降りるのに、お前ら歩いて隣の駅に行けよ! と自分勝手な事をいつも思う。

だって後ろから突進のように後ろから押し潰してくるんだよ? ポケモンで云ったら「とっしん」って自分にもダメージがいくよね。自分のことを考えれば絶対にそんなことはしちゃいけないんだよ。だからみんな歩け。そして私は空いた電車を快適に乗車する。


電車の中でよく無意識なのかそれとも意図的なのか隣の女性が肩を寄せ付けてくる。そこまで混んでもないのに隣のスペースちょっと余裕あるのに敢えてとしかいいようがないくらいに寄せてくる。

私なんかは日々痴漢の冤罪対策で両手で吊革を掴んだり、本を読んでどうにか両手をふさいでいる。それだと云うのに何なんだ! そんなにも私を痴漢に仕立て上げたいのか、女性は肩を寄せ付けてくる。自意識過剰な私はもう頭は回転しっぱなし。

次の駅で「この人触ってきました」と私の手首をつかんで叫ぶんじゃないか? そうしたら私はまず弁護士に電話をするべきなのか、それとも素直に駅員に従ってついていくべきなのか。その時の女のしたり顔なんか想像したら頭に血が上りそうだ。一発殴ってそのあと雄弁にお前の嘘を暴いてやる、なんて考えてしまって冷汗が止まらない。

もう、どうしてくれるんだ、と広告に視線を移しながら自然に隣の女性を確認すると、その女性は何もなかったように下車した。つまり私の自意識過剰だったのだ。


そして毎回こういった事態が起きた時私は考える。これは果たして私の自意識過剰にすべての落ち度があるのか? いや違う。肩を寄せ付けてきた女性が悪いはずだ。

寄せ付けてこなかったら私は不安に冷や汗をかかなかったし、あれやこれや杞憂になろう思考をせずに済んだ。

だから私は悪くない! とまたも自分勝手な結論を導く。

一応誤解されている方がいたら悪いので云わせていただければ私は決して女性を貶している訳ではない。肩を寄せ付けてきたら男性でも女性でもちょっと嫌なだけなんです。

決して女性差別を促進する様な事ではないのでここで陳謝させていただきます。

まあ、そんな杞憂に悩みながら私は満員電車を乗り切っている。

そう云えば最近の出来事、隣に座っていた男性の携帯電話の画面がたまたま見えてしまったことがある。それに対しては完全に私が悪いのは自明なのだがその画面の内容がこれまたすごかった。

その画面に映し出されたのは紛うことなきエロ漫画であった。絶賛放送中のアニメ「エロマンガ先生」ではなく、まさに本物。それもちょうど行為をおっぱじめていたのである。

見てしまった私の方がちょっと赤面してしまった。しかしどうだろう、当の本人は悠然と画面をスライドさせている。この時ほど「男らしい」と思ったことはない。これが「男」の中の「男」であり世の女はこういった「男」に伴侶になって貰うのが良かろうと私は思った。いや、まあ冗談ですが。


そんなことがあってやっと電車からの魔の手から逃れると遂に大学に辿り着く。

その地に踏み出す足は勿論ひとつ。友達などいない。周りがガヤガヤしゃべりながら構内に入っていく中、私はちゃんと警備員さんに「おはようございます」と云われたらビクビクしながら頭を下げている。後ろの方で元気よく「おはようございます!」と返答する学生の声が聞こえた……

そんなこんなでついに私は大学に辿り着き、今日も今日とて大学生活が始まるのである。

最後に


今回はとんでもなくどうでもいいことを書かせていただきました。


どうせ興味ある人なんていないと思います。

ではなぜこんな記事を書いたのか。承認欲求だったのか。

しかしそう云った理由じゃないと思うんですよね。そう云う訳じゃなくてもっと、なんというか、こう、これこれこうした、そう、あんな感じの、あれですよ、あれ、分かりますよね……やっぱり承認欲求でしょうか(笑)

まあ、変な記事を書いてすみません。

そんななかここまで読んでくださった稀有な方がいましたら感謝申し上げます。

それでは今回はここまで。

バイバイ(^_^)/~

P.S 大学で最近観た映画で「舟を編む」が面白かったです。あれは何回見ても面白いですね。音楽も役者も演出も、どれもが私好みです。また観ようかな。

舟を編む

舟を編む

 

あの頃、私は「君の膵臓をたべたい」という本を手に取った。そして読んだんだ

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文庫もされ映画化も決まり本屋大賞にもノミネートされ今や絶大な人気となった作品。

何と云ってもこのタイトル!

君の膵臓をたべたい」と云うインパクト大なタイトルを一度見たら忘れられないはずです。

そんな作品ですが私がこの作品と出会ったのは回顧するともう約二年の時間が過ぎ去りました。

学校での休み時間などを使って読む本とは別に自宅で朝食を食べ終えて学校に行くまでの僅かな時間を使って読んだ「キミスイ」

最初はよくある青春小説、恋愛小説だと思っていた。

実際読んでみればそんな陳腐な言葉では片付けられないほどに爽やかで掛け替えない愛おしい小説だった。

カーテンを通して薄っすらと透き抜けてきた朝の陽光。鳥の囀りを背景音楽に1ページ、1ページフィクションと云う名の命を捲りながら……私は当時読んでいました。

なんてクサい描写はさておき(笑)

しかしそんな読書をしていたからなのか、それとも内容がそれほどに素晴らしかったのか、どちらにしても「キミスイ」と云う作品が私の記憶に強い印象を残したのは事実です。

そんな事実を踏まえればこの作品には惹かれる要素があるのは自明です。

そしてその惹かれる要素、私にとってその要素は「救い」でした。


私はどこかでこの作品を通して救いを求めているんだと思います。

内容はどうなのかはあえて云いませんが、しかしあなたもどこかで思うはずです。

この世界にはまだ救いがあるんだって。

しかしそれはただの「救い」じゃなくて。


一見してこの作品には「救い」はない。しかし私はそこに「救い」を見出したんです。

恋愛じゃない。友情じゃない。この作品はそれらを一つ一つ提示しているんじゃない。

それらすべてを覆って語っているんです。

皆の救いであり「幸せ」を。

詳しく説明していきましょう。

君の膵臓をたべたい

君の膵臓をたべたい (双葉文庫)

君の膵臓をたべたい (双葉文庫)

 

 ある日、高校生の僕は病院で一冊の文庫本を拾う。タイトルは「共病文庫」。それはクラスメイトである山内桜良が綴った、秘密の日記帳だった。そこには、彼女の余命が膵臓の病気により、もういくばくもないと書かれていて―。読後、きっとこのタイトルに涙する。「名前のない僕」と「日常のない彼女」が織りなす、大ベストセラー青春小説!


山内桜良はクラスの中でも人気者で「僕」とは到底立つべき舞台が違う。いや、「僕」は舞台にすら立っていない。

そんな二人。

物語は曇天の空、彼女、山内桜良の葬儀の場面から始まる。

クラスメイト達は銘銘葬式に参列しているのだろう。

しかし「僕」は自室のベットに寝転びながら文庫本を読んでいた。

読み終わる頃には夕方でその時間を知らせる電話が鳴る。

電話はなんてことない母からのものだった。

通話を終え、「彼女」に送ったメールの存在を思い出す。

「君の膵臓を食べたい」

彼女はこれをどのように受け取ったのか。そもそも読んでいるのか。

もう答えてくれる人物はいない。

彼女は死んだのだ。

と云う感じで(こんな文章は小説にはありませんよ。私が伝わりやすいようにそれっぽく書いてみたんです)プロローグが終わります。

そう彼女が死んだことは前提条件であり結果なのです。

前提なのに結果っておかしいですね(笑)

そんな寂寥感漂ったプロローグから次に図書室の場面で山内桜良と「僕」の会話のシーンが続きます。

遂に青春物語の始まりと云った感じ。

しかし物語が進んでいくとなんというか既存の青春小説のような爽やかさとは一種異なった青春ですね。

爽やかは爽やかなんですか、既存のものよりも個人的に憧れる様な描写があったりと、なんていうんですかね、そうですね……

大人の爽やかさ、とでも表現しましょうか。

そんな雰囲気を纏っているんですね。

それが読んでいて心地好いんです。

そしてなんといっても山内桜良と「僕」、二人の関係性がとてもいい。

近過ぎず、遠過ぎず、知らないようで、核心をつく、不思議な関係性。

淡白だった二人の物語を徐々に色づかせていく瑞々しい時間。

ときに時間は蟠りを緩和して、ときに時間は関係性を強めて、ときに時間は残酷なことを突然知らせてくれる。

読んだ感想


青春小説の特殊性とはつまりあの時にしかできなかった事、あの時にしか感じられなかった気持ち、あの時にしか味わえなかった環境。

それらを思い出させてくれたり出来なかったからこそ代わりにやってくれたり、そんな感覚を味わせてくれるのが青春小説だと思っています。

しかしこの作品はただの青春小説ではないんです。

この小説は所謂青春時代で「命の儚さ」を語っているんです。

命なんて人生のテーマですよ!

そんな永遠のテーマを青春にぶつけてくるなんてのはかなりの実力を要していないと「結局この小説は何を語りたいの?」となってしまう訳です。

しかしこの小説はそこをうまく綺麗に描いているんです。

それに「僕」と云う人物にあまりパーソナリティを与えなかったのも素晴らしい点です。

これを個性溢れる、例えば物事に対して情熱を持って皆を引っ張っていく、みたいなそんな人物だとこの小説は破綻してしまう訳です。

命を語りながら、恋愛を語りながら、青春を語りながら、それらを一挙に語るのは今となってはこの「僕」でしかいないと思います。

淡々とした語りでありながら山内桜良に触発され徐々に変化していく心情。

予定調和を嫌い、ご都合主義を払い除けたこの作品。

最後の最後、終盤では驚きとともに涙が滴ることでしょう。

是非読んでみてください!

最後に


君の膵臓をたべたい」、すごい人気ですね。

作者さんの住野よるさんは他にも続々と作品を上梓しています。

最近では『か「」く「」し「」ご「」と「』が上梓されました。

とても気になりますね。

と云うことで今回はここまでです。

ここまで読んでくださった方有難うございます。

バイバイ(^_^)/~

君の膵臓をたべたい (双葉文庫)

君の膵臓をたべたい (双葉文庫)

 

テレビドラマ放送中!「櫻子さんの足下には死体が埋まっている」の雰囲気は至高である

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櫻子さんの足下には死体が埋まっている」の作者は太田紫織さんと云う方で子供のころからコナン・ドイルやアガサ・クリ
スティの作品を愛読していたようです。

なるほど、確かにこの作品「櫻子さんの足下には死体が埋まっている」の推理構造は所謂、名探偵が推理を展開して解決するという推理小説の定番の筋道であり王道です。

その名探偵が今作の表題にもある九条 櫻子(くじょう さくらこ)と云う女性。

得てして名探偵とは変人であるというのが推理小説の常識とまでは云いませんが、広く浸透している認識の一つであります。

この櫻子さんと云う女性も相当の変人です。

職業からして特殊です。

日本でも稀有な職業、骨格標本士なる資格を有しているそうです。

では何故そんな特殊な仕事についているのか。

それは彼女の性癖と云うか趣味と云うかあるものに対してとても強い執着が関わっているのです。

それが「骨」です。

動物が腐敗し皮膚から露出した白い骨。

櫻子さん曰く骨は雄弁と云うことです。

骨はその人物がどの様な生活環境でどの時代の人物であったのかなどを語りかけてくるらしい。

この作品はそんな「骨」が事件のキーとなるガジェット的存在です。

至る所に死んで尚現世に生き続ける空気、その根源的原因こそが「骨」であり逆説的に「骨」こそが一番に死への誘いのしるしであるのです。

今回は一巻のお話を紹介していきたいと思います。

詳しく説明します。

櫻子さんの足下には死体が埋まっている

北海道、旭川。平凡な高校生の僕は、レトロなお屋敷に住む美人なお嬢様、櫻子さんと知り合いだ。けれど彼女には、理解出来ない嗜好がある。なんと彼女は「三度の飯より骨が好き」。骨を組み立てる標本士である一方、彼女は殺人事件の謎を解く、検死官の役をもこなす。そこに「死」がある限り、謎を解かずにいられない。そして僕は、今日も彼女に振り回されて…。エンタメ界期待の新人が放つ、最強キャラ×ライトミステリ。


平静で淡白で真っ白なプロローグから始まり、そして最初の物語、第一話(第一骨)「美しい人」に続く。

語り部である館脇 正太郎(たてわき しょうたろう)の母親が所有しているアパートの住人清美と連絡がつかなく清美の妹、好美は心配で櫻子さん、正太郎、母を同伴してアパートに向かった。

部屋の中は散々な有り様だった。家具などは倒されて酷く荒れていた。

そして寝室には息を引き取った清美が横たわっていた。

窓は施錠されドアにはチェーンが掛けられていた。所謂、密室である。

彼女はだれかに殺されたのか? ならば密室の謎は?

第二話(第二骨)は「頭」と云うお話。

正しく人の頭の骨を見つけたことによって物語は展開していきます。

人骨を見つけたことで正太郎は警察に通報。ほどなくして警察官が一人到着しましたが、その警察官の話から近くで心中遺体が見つかったと云う事を聞く。

櫻子さんの要望でその現場に向かった彼女はこれは心中ではないと云い放つ。

果たして彼女の言葉の真意とは?

第三話(第三骨)は「薔薇の木の下」

櫻子さんの友人千代田 薔子(ちよだ しょうこ)の誘いで降霊会に参加することになった櫻子さんと正太郎。

その降霊会には北海道の大物が数名参加した。(この作品の舞台は北海道の旭川)

霊媒師は半年前に亡くなった薔子さんの夫を降霊させた。

その異様な空気に信じ始めた全員。一人を除いて。

櫻子さんは見事これがペテンであると云う事を暴いた。

しかし霊媒師には事情があるようなのだ。

と、以上三つの物語が今回一巻に挿入されている。

どれもこれも読み易く、またミステリーとして完成度も高いので存分に楽しめる一冊となっていることを保証します。

読んだ感想


先述したようにこの推理小説の構造は昔々から脈々と受け継がれた定番の筋道であり王道であるところの天才の探偵役が事件を解決するという展開。

そしてその構造を持った作品の多くは本格推理小説本格ミステリー、なるジャンルに配されることが往々であります。

しかしこの作品は少々テイストが違うような感覚を覚えました。

所謂どんでん返し系統のミステリー、綾辻行人さんの「十角館の殺人」などは最後の最後でそう云うトリックなのか! と驚愕する。

所謂ロジックシンキングで推理を展開する系統のミステリー、エラリー・クイーンの「Xの悲劇」などは、ふむふむ、こう繋がって、こういう考え方があったのか! とこれまた驚愕する。

けれどこの作品は違います。

正直驚きは少ないです。

この謎のトリックはこうですと論理的構造を示されたところで驚きには欠けました。

論理的にはかなっているが、なんというかトリックとしては少ない感じです。

しかしこの作品で伝えたいのはそこではない。

トリックの奇抜性で読者を楽しませるというよりかはこの事件に関わった人々の心情はどのように変化し、どのようなプロセスでエンディングに向かうか? と云う事を問いかけているのではないかと私は思いました。

ライトミステリーと謳っているようですが、確かに文章は軽快なテンポで紡がれます。けれど内実重厚的なストーリーで世界観を覆っている。ミステリーがガジェットになっているんですね。

何層もの皮を剥ぎそこには事件の解決以上の真実と云う名の「骨」が待っている。

是非読んでみてください!

最後に


久しぶりの更新で申し訳ございません。

どの作品を紹介しようか悩んだりしています。

と云うことでここまで読んでくださった方有難うございます。

今回はここまでです。

バイバイ(^_^)/~