雑記でも書こうとするが大学約二か月経とうと云うのに友達もいない私の無味乾燥な日常を語っても意味ないな
私は大学が嫌いなわけではない。
大学の講義はとても興味深いものばかりで、図書館での読書も心地よく、また他にもDVDやBlu-rayなどを媒体とした映像作品を観られる設備もあって大学生活は楽しいことだらけだ。
高校生のころ思い描いていたキャンパスライフじゃないけど……
学友と学問の話に花を咲かすことなんてないし、サークルでの交友関係に笑顔を見せて、女の子と話しちゃったりして、キャッキャ、ウフフで、そんなことあるわけねぇじゃん。
まあサークルにすら入らなかった自分はスタートラインにすら立たなかった奴で落ち度は多少自分にあるのは分かっていますが。
だからって友達一人もできないのはおかしい。
と云うか大学一日目にして周りの奴らはもうグループ形成していて普通に驚いたわ。
お前らどんだけコミュニケーション能力高けぇんだよ。その能力もっと違うところで発揮したら社会にも貢献できるだろ。
私なんかはもう能力つながりで「リセット」したいですよ。
一人遊びが日々うまくなっていって、なんだかなあ。
と云うことで今回は誰も興味ないであろう私の一日でも紹介していこうと思います。
大学に辿り着くまでの道程
私は五時起きである。母から起こして貰うのが通例だ。母には感謝してもしきれないだろう。
起きてすぐに朝食を食べて、その後二度寝。約十五分後に起きて洗顔をする。
そして重い足を一歩一歩確実に踏み出して私は玄関を出るのだ。
最近は玄関開けてすぐに朝とは思えないほどの強い陽光の照射が私の身体を攻撃して眉間に皺が寄るのは必須。
それでも大学に辿り着くため私は振り向かずに前に歩を進める。
最寄り駅までは約三十分。最近は慣れてきたのか約二十分で着くことができるようになった。
駅までの道程はiphoneで音楽を聴く。最近は物語シリーズ「恋物語」のOPテーマ「木枯らしセンティメンタル」を聴いている。貝木泥舟の声がいいんですよ。
そして人がひしめき合う駅に辿り着く。ここでもう辟易とする。こんなにも多くの人がこの街にいたのか。少子化問題が提起されるが大人は増える一方だな、と毎日思う。
リュックを前に抱えて満員電車に乗り込む。最初の二つの駅は乗る人もまばらだが三つ目の駅はどうしてあんなに多くの人が乗り込むのだろう。そのほとんどがその次の駅で降りるのに、お前ら歩いて隣の駅に行けよ! と自分勝手な事をいつも思う。
だって後ろから突進のように後ろから押し潰してくるんだよ? ポケモンで云ったら「とっしん」って自分にもダメージがいくよね。自分のことを考えれば絶対にそんなことはしちゃいけないんだよ。だからみんな歩け。そして私は空いた電車を快適に乗車する。
電車の中でよく無意識なのかそれとも意図的なのか隣の女性が肩を寄せ付けてくる。そこまで混んでもないのに隣のスペースちょっと余裕あるのに敢えてとしかいいようがないくらいに寄せてくる。
私なんかは日々痴漢の冤罪対策で両手で吊革を掴んだり、本を読んでどうにか両手をふさいでいる。それだと云うのに何なんだ! そんなにも私を痴漢に仕立て上げたいのか、女性は肩を寄せ付けてくる。自意識過剰な私はもう頭は回転しっぱなし。
次の駅で「この人触ってきました」と私の手首をつかんで叫ぶんじゃないか? そうしたら私はまず弁護士に電話をするべきなのか、それとも素直に駅員に従ってついていくべきなのか。その時の女のしたり顔なんか想像したら頭に血が上りそうだ。一発殴ってそのあと雄弁にお前の嘘を暴いてやる、なんて考えてしまって冷汗が止まらない。
もう、どうしてくれるんだ、と広告に視線を移しながら自然に隣の女性を確認すると、その女性は何もなかったように下車した。つまり私の自意識過剰だったのだ。
そして毎回こういった事態が起きた時私は考える。これは果たして私の自意識過剰にすべての落ち度があるのか? いや違う。肩を寄せ付けてきた女性が悪いはずだ。
寄せ付けてこなかったら私は不安に冷や汗をかかなかったし、あれやこれや杞憂になろう思考をせずに済んだ。
だから私は悪くない! とまたも自分勝手な結論を導く。
一応誤解されている方がいたら悪いので云わせていただければ私は決して女性を貶している訳ではない。肩を寄せ付けてきたら男性でも女性でもちょっと嫌なだけなんです。
決して女性差別を促進する様な事ではないのでここで陳謝させていただきます。
まあ、そんな杞憂に悩みながら私は満員電車を乗り切っている。
そう云えば最近の出来事、隣に座っていた男性の携帯電話の画面がたまたま見えてしまったことがある。それに対しては完全に私が悪いのは自明なのだがその画面の内容がこれまたすごかった。
その画面に映し出されたのは紛うことなきエロ漫画であった。絶賛放送中のアニメ「エロマンガ先生」ではなく、まさに本物。それもちょうど行為をおっぱじめていたのである。
見てしまった私の方がちょっと赤面してしまった。しかしどうだろう、当の本人は悠然と画面をスライドさせている。この時ほど「男らしい」と思ったことはない。これが「男」の中の「男」であり世の女はこういった「男」に伴侶になって貰うのが良かろうと私は思った。いや、まあ冗談ですが。
そんなことがあってやっと電車からの魔の手から逃れると遂に大学に辿り着く。
その地に踏み出す足は勿論ひとつ。友達などいない。周りがガヤガヤしゃべりながら構内に入っていく中、私はちゃんと警備員さんに「おはようございます」と云われたらビクビクしながら頭を下げている。後ろの方で元気よく「おはようございます!」と返答する学生の声が聞こえた……
そんなこんなでついに私は大学に辿り着き、今日も今日とて大学生活が始まるのである。
最後に
今回はとんでもなくどうでもいいことを書かせていただきました。
どうせ興味ある人なんていないと思います。
ではなぜこんな記事を書いたのか。承認欲求だったのか。
しかしそう云った理由じゃないと思うんですよね。そう云う訳じゃなくてもっと、なんというか、こう、これこれこうした、そう、あんな感じの、あれですよ、あれ、分かりますよね……やっぱり承認欲求でしょうか(笑)
まあ、変な記事を書いてすみません。
そんななかここまで読んでくださった稀有な方がいましたら感謝申し上げます。
それでは今回はここまで。
バイバイ(^_^)/~
P.S 大学で最近観た映画で「舟を編む」が面白かったです。あれは何回見ても面白いですね。音楽も役者も演出も、どれもが私好みです。また観ようかな。
あの頃、私は「君の膵臓をたべたい」という本を手に取った。そして読んだんだ
文庫もされ映画化も決まり本屋大賞にもノミネートされ今や絶大な人気となった作品。
何と云ってもこのタイトル!
「君の膵臓をたべたい」と云うインパクト大なタイトルを一度見たら忘れられないはずです。
そんな作品ですが私がこの作品と出会ったのは回顧するともう約二年の時間が過ぎ去りました。
学校での休み時間などを使って読む本とは別に自宅で朝食を食べ終えて学校に行くまでの僅かな時間を使って読んだ「キミスイ」
最初はよくある青春小説、恋愛小説だと思っていた。
実際読んでみればそんな陳腐な言葉では片付けられないほどに爽やかで掛け替えない愛おしい小説だった。
カーテンを通して薄っすらと透き抜けてきた朝の陽光。鳥の囀りを背景音楽に1ページ、1ページフィクションと云う名の命を捲りながら……私は当時読んでいました。
なんてクサい描写はさておき(笑)
しかしそんな読書をしていたからなのか、それとも内容がそれほどに素晴らしかったのか、どちらにしても「キミスイ」と云う作品が私の記憶に強い印象を残したのは事実です。
そんな事実を踏まえればこの作品には惹かれる要素があるのは自明です。
そしてその惹かれる要素、私にとってその要素は「救い」でした。
私はどこかでこの作品を通して救いを求めているんだと思います。
内容はどうなのかはあえて云いませんが、しかしあなたもどこかで思うはずです。
この世界にはまだ救いがあるんだって。
しかしそれはただの「救い」じゃなくて。
一見してこの作品には「救い」はない。しかし私はそこに「救い」を見出したんです。
恋愛じゃない。友情じゃない。この作品はそれらを一つ一つ提示しているんじゃない。
それらすべてを覆って語っているんです。
皆の救いであり「幸せ」を。
詳しく説明していきましょう。
「君の膵臓をたべたい」
ある日、高校生の僕は病院で一冊の文庫本を拾う。タイトルは「共病文庫」。それはクラスメイトである山内桜良が綴った、秘密の日記帳だった。そこには、彼女の余命が膵臓の病気により、もういくばくもないと書かれていて―。読後、きっとこのタイトルに涙する。「名前のない僕」と「日常のない彼女」が織りなす、大ベストセラー青春小説!
山内桜良はクラスの中でも人気者で「僕」とは到底立つべき舞台が違う。いや、「僕」は舞台にすら立っていない。
そんな二人。
物語は曇天の空、彼女、山内桜良の葬儀の場面から始まる。
クラスメイト達は銘銘葬式に参列しているのだろう。
しかし「僕」は自室のベットに寝転びながら文庫本を読んでいた。
読み終わる頃には夕方でその時間を知らせる電話が鳴る。
電話はなんてことない母からのものだった。
通話を終え、「彼女」に送ったメールの存在を思い出す。
「君の膵臓を食べたい」
彼女はこれをどのように受け取ったのか。そもそも読んでいるのか。
もう答えてくれる人物はいない。
彼女は死んだのだ。
と云う感じで(こんな文章は小説にはありませんよ。私が伝わりやすいようにそれっぽく書いてみたんです)プロローグが終わります。
そう彼女が死んだことは前提条件であり結果なのです。
前提なのに結果っておかしいですね(笑)
そんな寂寥感漂ったプロローグから次に図書室の場面で山内桜良と「僕」の会話のシーンが続きます。
遂に青春物語の始まりと云った感じ。
しかし物語が進んでいくとなんというか既存の青春小説のような爽やかさとは一種異なった青春ですね。
爽やかは爽やかなんですか、既存のものよりも個人的に憧れる様な描写があったりと、なんていうんですかね、そうですね……
大人の爽やかさ、とでも表現しましょうか。
そんな雰囲気を纏っているんですね。
それが読んでいて心地好いんです。
そしてなんといっても山内桜良と「僕」、二人の関係性がとてもいい。
近過ぎず、遠過ぎず、知らないようで、核心をつく、不思議な関係性。
淡白だった二人の物語を徐々に色づかせていく瑞々しい時間。
ときに時間は蟠りを緩和して、ときに時間は関係性を強めて、ときに時間は残酷なことを突然知らせてくれる。
読んだ感想
青春小説の特殊性とはつまりあの時にしかできなかった事、あの時にしか感じられなかった気持ち、あの時にしか味わえなかった環境。
それらを思い出させてくれたり出来なかったからこそ代わりにやってくれたり、そんな感覚を味わせてくれるのが青春小説だと思っています。
しかしこの作品はただの青春小説ではないんです。
この小説は所謂青春時代で「命の儚さ」を語っているんです。
命なんて人生のテーマですよ!
そんな永遠のテーマを青春にぶつけてくるなんてのはかなりの実力を要していないと「結局この小説は何を語りたいの?」となってしまう訳です。
しかしこの小説はそこをうまく綺麗に描いているんです。
それに「僕」と云う人物にあまりパーソナリティを与えなかったのも素晴らしい点です。
これを個性溢れる、例えば物事に対して情熱を持って皆を引っ張っていく、みたいなそんな人物だとこの小説は破綻してしまう訳です。
命を語りながら、恋愛を語りながら、青春を語りながら、それらを一挙に語るのは今となってはこの「僕」でしかいないと思います。
淡々とした語りでありながら山内桜良に触発され徐々に変化していく心情。
予定調和を嫌い、ご都合主義を払い除けたこの作品。
最後の最後、終盤では驚きとともに涙が滴ることでしょう。
是非読んでみてください!
最後に
「君の膵臓をたべたい」、すごい人気ですね。
作者さんの住野よるさんは他にも続々と作品を上梓しています。
最近では『か「」く「」し「」ご「」と「』が上梓されました。
とても気になりますね。
と云うことで今回はここまでです。
ここまで読んでくださった方有難うございます。
バイバイ(^_^)/~
テレビドラマ放送中!「櫻子さんの足下には死体が埋まっている」の雰囲気は至高である
「櫻子さんの足下には死体が埋まっている」の作者は太田紫織さんと云う方で子供のころからコナン・ドイルやアガサ・クリスティの作品を愛読していたようです。
なるほど、確かにこの作品「櫻子さんの足下には死体が埋まっている」の推理構造は所謂、名探偵が推理を展開して解決するという推理小説の定番の筋道であり王道です。
その名探偵が今作の表題にもある九条 櫻子(くじょう さくらこ)と云う女性。
得てして名探偵とは変人であるというのが推理小説の常識とまでは云いませんが、広く浸透している認識の一つであります。
この櫻子さんと云う女性も相当の変人です。
職業からして特殊です。
日本でも稀有な職業、骨格標本士なる資格を有しているそうです。
では何故そんな特殊な仕事についているのか。
それは彼女の性癖と云うか趣味と云うかあるものに対してとても強い執着が関わっているのです。
それが「骨」です。
動物が腐敗し皮膚から露出した白い骨。
櫻子さん曰く骨は雄弁と云うことです。
骨はその人物がどの様な生活環境でどの時代の人物であったのかなどを語りかけてくるらしい。
この作品はそんな「骨」が事件のキーとなるガジェット的存在です。
至る所に死んで尚現世に生き続ける空気、その根源的原因こそが「骨」であり逆説的に「骨」こそが一番に死への誘いのしるしであるのです。
今回は一巻のお話を紹介していきたいと思います。
詳しく説明します。
「櫻子さんの足下には死体が埋まっている」
北海道、旭川。平凡な高校生の僕は、レトロなお屋敷に住む美人なお嬢様、櫻子さんと知り合いだ。けれど彼女には、理解出来ない嗜好がある。なんと彼女は「三度の飯より骨が好き」。骨を組み立てる標本士である一方、彼女は殺人事件の謎を解く、検死官の役をもこなす。そこに「死」がある限り、謎を解かずにいられない。そして僕は、今日も彼女に振り回されて…。エンタメ界期待の新人が放つ、最強キャラ×ライトミステリ。
平静で淡白で真っ白なプロローグから始まり、そして最初の物語、第一話(第一骨)「美しい人」に続く。
語り部である館脇 正太郎(たてわき しょうたろう)の母親が所有しているアパートの住人清美と連絡がつかなく清美の妹、好美は心配で櫻子さん、正太郎、母を同伴してアパートに向かった。
部屋の中は散々な有り様だった。家具などは倒されて酷く荒れていた。
そして寝室には息を引き取った清美が横たわっていた。
窓は施錠されドアにはチェーンが掛けられていた。所謂、密室である。
彼女はだれかに殺されたのか? ならば密室の謎は?
第二話(第二骨)は「頭」と云うお話。
正しく人の頭の骨を見つけたことによって物語は展開していきます。
人骨を見つけたことで正太郎は警察に通報。ほどなくして警察官が一人到着しましたが、その警察官の話から近くで心中遺体が見つかったと云う事を聞く。
櫻子さんの要望でその現場に向かった彼女はこれは心中ではないと云い放つ。
果たして彼女の言葉の真意とは?
第三話(第三骨)は「薔薇の木の下」
櫻子さんの友人千代田 薔子(ちよだ しょうこ)の誘いで降霊会に参加することになった櫻子さんと正太郎。
その降霊会には北海道の大物が数名参加した。(この作品の舞台は北海道の旭川)
霊媒師は半年前に亡くなった薔子さんの夫を降霊させた。
その異様な空気に信じ始めた全員。一人を除いて。
櫻子さんは見事これがペテンであると云う事を暴いた。
しかし霊媒師には事情があるようなのだ。
と、以上三つの物語が今回一巻に挿入されている。
どれもこれも読み易く、またミステリーとして完成度も高いので存分に楽しめる一冊となっていることを保証します。
読んだ感想
先述したようにこの推理小説の構造は昔々から脈々と受け継がれた定番の筋道であり王道であるところの天才の探偵役が事件を解決するという展開。
そしてその構造を持った作品の多くは本格推理小説、本格ミステリー、なるジャンルに配されることが往々であります。
しかしこの作品は少々テイストが違うような感覚を覚えました。
所謂どんでん返し系統のミステリー、綾辻行人さんの「十角館の殺人」などは最後の最後でそう云うトリックなのか! と驚愕する。
所謂ロジックシンキングで推理を展開する系統のミステリー、エラリー・クイーンの「Xの悲劇」などは、ふむふむ、こう繋がって、こういう考え方があったのか! とこれまた驚愕する。
けれどこの作品は違います。
正直驚きは少ないです。
この謎のトリックはこうですと論理的構造を示されたところで驚きには欠けました。
論理的にはかなっているが、なんというかトリックとしては少ない感じです。
しかしこの作品で伝えたいのはそこではない。
トリックの奇抜性で読者を楽しませるというよりかはこの事件に関わった人々の心情はどのように変化し、どのようなプロセスでエンディングに向かうか? と云う事を問いかけているのではないかと私は思いました。
ライトミステリーと謳っているようですが、確かに文章は軽快なテンポで紡がれます。けれど内実重厚的なストーリーで世界観を覆っている。ミステリーがガジェットになっているんですね。
何層もの皮を剥ぎそこには事件の解決以上の真実と云う名の「骨」が待っている。
是非読んでみてください!
最後に
久しぶりの更新で申し訳ございません。
どの作品を紹介しようか悩んだりしています。
と云うことでここまで読んでくださった方有難うございます。
今回はここまでです。
バイバイ(^_^)/~
本格ミステリーの復活「占星術殺人事件」を読まずしてミステリーは語れない
今や推理小説として圧倒的な市民権を得た新本格もちょっと昔まではこういった推理小説は認められていなかったんですね。
新本格の推理作家さんで有名なのは綾辻行人さん、有栖川有栖さん、法月倫太郎さん、歌野晶午さん、京極夏彦さん、我孫子武丸さん、森博嗣、et cetera…
Wikipediaを参考にすれば「新本格」と云う言葉が使われたのが綾辻行人さんの二作目「水車館の殺人」の帯から使われ始めたらしいです。その後次第に東京創元社などの他社からデビューした作家さんにも使用されるようになって、ジャンルとして定着したようです。
しかし私はおそらくこの人がいなかったら「新本格」と云うジャンルは誕生しなかったのだと思います。
その方が島田壮司さん。
松本清張の影響もあって推理小説は社会派が中心と云ったミステリー界で突如として現れたのが島田壮司さんの「占星術殺人事件」
けれど当時この作品が上梓してもあまり話題にはならなかったそうです。
矢張り社会派推理小説の影響力が強く受け入れられなかったのでしょうか。
しかしその後も別作品として社会派推理小説の吉敷竹史シリーズを書きながら本格推理の御手洗潔シリーズも書き続け現在ではミステリー界の重鎮です。
今回紹介する「占星術殺人事件」は江戸川乱歩賞の最終選考まで残った作品だそうです。
内容に関しては受賞してもおかしくないのですが。
何と云ってもこのトリックがすごい。
単純なようでわからない。
詳しく紹介していきます。
「占星術殺人事件」
密室で殺された画家が遺した手記には、六人の処女の肉体から完璧な女=アゾートを創る計画が書かれていた。その後、彼の六人の娘たちが行方不明となり、一部を切り取られた惨殺遺体となって発見された。事件から四十数年、迷宮入りした猟奇殺人のトリックとは!?名探偵御手洗潔を生んだ衝撃作の完全版登場!
この推理小説では現在進行形で登場人物が事件に巻き込まれて事件を解決していく、と云うものではなく約四十年前の未解決事件に名探偵の御手洗潔が立ち向かう、と云った感じ。
最初は「AZOTH」と云う私自身のために描かれた小説と云う文句で進んでいく謎の文章が羅列していく。
梅沢平吉なる画家の遺書と云うこと。
内容は「占星術」に関してのことが滔々と語られておりここで辟易としてしまう読者の方は多いかもしれません。
しかしこの約四、五十ページを読めばその先にはやっと主要メンバーの御手洗潔と石岡和己の登場です。
ここからは最後まですぐに読めてしまうのではないでしょうか。
信じられないほどに読み易く感じます。
舞台は東京から京都に行ったりといい塩梅で環境変化もあって飽きる事をさせません。
そしてなんといっても最後の最後で明かされる事件の真相はミステリーの読書体験で一生忘れる事が出来ない痺れるものとなっております。
読んだ感想
画家の梅沢平吉が自宅のアトリエで密室状態で殺害されていた。
事件のあった日は雪が降っていた。
この密室殺人では雪の上の足跡がポイントになります。
まず初めにこの事件のトリックが明かされ物語が始まって早々に一つの解決で勢いがつきました。
しかしその次が難題です。
その密室殺人が起きたその後6人の姉妹が頭、肩、胸、腰、大腿部、下足部が切り取られた状態の死体が発見された。
この奇怪な事件が今回の「占星術殺人事件」の大きな謎の一つ。
この事件のトリックが最後のカタストロフィを素晴らしいものに仕上げています。
詳しくは語れませんがこれを読まずしてミステリーは語れないと云っても過言ではないので是非ご一読をお勧めします。
最後に
今回は本格ミステリー作品を紹介させていただきました。
今や重鎮となられた島田壮司さんの作品はその他も面白いので是非是非調べてみてください。
それでは今回はここらへんで。
( ´Д`)ノ~バイバイ
村上龍、衝撃のデビュー作「限りなく透明に近いブルー」は淡く、冷徹
村上春樹と村上龍でダブル村上なんて呼ばれている二人。
しかし作風は決して似ていると云う訳ではありません。
全く別の切り口から純文学を描く。
殊に村上龍処女作の「限りなく透明に近いブルー」はそれが顕著です。
そしてこの作品の読書体験は同時に衝撃です。
今でも読んで衝撃ですが、当時の文壇、なんて想像すると色々な意味で荒れていたのではないでしょうか。
群像新人文学賞、芥川賞受賞のこの作品。
処女作で芥川賞を受賞してしまうんですね。
最近では又吉直樹さん「火花」が小説としては処女作で芥川賞を受賞で大きな話題を呼びましたが、普通に考えるととんでもないことですよね。
そんな又吉さんは二作目に「劇場」が単行本で発売予定で私は今からワクワクしています。(新潮には掲載されています)
単行本・文庫本の発行部数は芥川賞受賞作ではトップ。
表現などがとてもユニークと云うか前衛的なんですね。
良く比べられるのが石原慎太郎の「太陽の季節」
荒廃的な男女の物語と云う点で類似点が多いのでしょうか。
詳しく紹介していきます。
「限りなく透明に近いブルー」
福生の米軍基地に近い原色の街。いわゆるハウスを舞台に、日常的にくり返される麻薬とセックスの宴。陶酔を求めてうごめく若者、黒人、女たちの、もろくて哀しいきずな。スキャンダラスにみえる青春の、奥にひそむ深い亀裂を醒めた感性と詩的イメージとでみごとに描く鮮烈な文学。群像新人賞、芥川賞受賞。
麻薬とセックスに明け暮れる毎日を主人公の客観的で冷徹、一見して淡白な文体だがそれを自然に受け入れさせるのだからこの作品の評価されるのが分かる。
この作品には多くのセックスシーンが描写される。
直接的な描写なんて数えたらきりがない。
なのにどうしてここまで「清潔感」がある。
やはりこの平易な文体で暴力的な内容が読んでいて素晴らしい。
読んだ感想
読めば分かる、としか云えないのがこの作品の紹介しづらい点。
必要な文章しかなく、逆説的にそれをコンパクトに要約しようものならこの作品の良さは一掃されてしまう。
そう云った作品だ。
それでもどうにかこの作品の良さを伝えるのであればやはり何度も云うようだが、この作品の文体に高い評価がある。
平易な文章にここまで書いていいのか? と云うほどに暴力的で問題のある内容。それを赤裸々に告白している。
一見アンバランスの様に見えるそれをこれしかない! と云う最高のバランス感覚で描き切った。
今思い起こしてみるとこの作品はどことなくカフカの「変身」を彷彿とさせます。
ただ事実しか語らない。そこから見える自分だけの真実。
どんな観点から見ても不思議で、そしてどうしようもなく惹かれる。
「限りなく透明に近いブルー」是非読んでみてください。
最後に
更新頻度が低くなっていく一方ですね。
頑張って書いていきたいと思います。
今回はここまで。
( ´Д`)ノ~バイバイ
「葉桜の季節に君を想うということ」には賛否両論が多いようだ
今回紹介するのはミステリー好事家界隈では有名な歌野晶午さんの有名作「葉桜の季節に君を想うということ」です。
所謂どんでん返し系統に属するであろうこの作品、私も見事に騙されましたが、この騙されたトリックに対してミステリーファンには賛否両論あるようですね。
私のスタンスは小説(特に大衆文学)は娯楽であり自分が楽しめていれば良いのである、なんて思っているので私自身は受け入れているのですが、その逆も然りなのでどうとも云えないですねぇ。
唯一云えることはそれ程この作品に対しての意見が多く述べられている。と云うことは多くの方に読まれていると云うこと。
つまり有名作と云うことです。
そんな有名作を詳しく紹介していきましょう!
「葉桜の季節に君を想うということ」
「何でもやってやろう屋」を自称する元私立探偵・成瀬将虎は、同じフィットネスクラブに通う愛子から悪質な霊感商法の調査を依頼された。そんな折、自殺を図ろうとしているところを救った麻宮さくらと運命の出会いを果たして―。あらゆるミステリーの賞を総なめにした本作は、必ず二度、三度と読みたくなる究極の徹夜本です。
先程この作品にはどんでん返しがあると云いましたが、そのどんでん返し一つだけではないんですね。
大きなどんでん返しは最後の最後に「それアリ?」ってぐらいのがあるんですが、その前にも幾つものどんでん返しと云うか「そうだったのか」という所謂事件の解決が有るわけです。
つまりこの作品内には様々な事件が色々な時系列で同時進行していくんですね。
その事件一つ一つがとても重厚的なものとなっております。
探偵が解決する推理ものというよりかはサスペンスに近いかな? ハラハラドキドキと云う場面がいくつもあって本格推理ではないですがそう云った冒険小説的な部分は好きでしたね。
それに結構読み易いんです。
読んだ感想
悪徳商法を調査する主人公。
何と云ってもその過程が面白かったです。
最後のカタストロフィに関しては賛否両論ありますが、そこに行き着くまでの過程、道程はとても面白いものだと思います。
先述したようにハラハラドキドキするんですね。
この筆致は流石だな、と思ってしまう。
主人公のやくざ時代のお話も同時進行で進んでいき、交差していくんでこれまた面白い構成になっています。
と云っても私、この作品を随分と前に読んだのでちょっと忘れている部分もちらほらなんで、正直あの時の躍動感を思い出せなかったりするんですよねぇ。
私も読み返そうかな。
と云うことで「葉桜の季節に君を想うということ」でした。
是非読んでみてください!
最後に
ここまで読んでくださった方有難うございます。
それでは今回はここまで!
( ´Д`)ノ~バイバイ
「忌館 ホラー作家の棲む家」の世界はリアルかフィクションか
三津田信三さんの作品は面白いですよね。
ホラー作品は勿論、ミステリーもお手の物。
最終的にその二つを融合したホラーミステリーなんて代物を世に送り出し今でもその融合性を高めんと小説を出し続けています。
有名なのは刀城言耶シリーズ「厭魅の如き憑くもの」などの土着性の高いホラーミステリー。
横溝正史(「八つ墓村」など)に繋がる雰囲気を醸し出しながら、最近の作家で云えば京極夏彦の緻密性、同時に奇妙な物語。
民俗学やら日本神話についての蘊蓄をひけらかしながら構築していく世界観。
今回紹介する三津田信三さん処女作「忌館 ホラー作家の棲む家」に関しても似たような事を云えるかもしれません。
ミステリーやら建築学やら様々な蘊蓄をもってこの摩訶不思議な世界観をゆっくりと確実に構築していく。
最終的にその世界観は現実に実際起こりえた出来事なのか、それとも完全なフィクションなのか、どっちともつかない気味の悪い、そして最高の感覚を体験することになります。
詳しく紹介していきたいと思います。
「忌館 ホラー作家の棲む家」
奇妙な原稿が、ある新人賞に投稿された。“私”は友人から応募者の名が「三津田信三」だと知らされるが、身に覚えがない。そのころ偶然に探しあてた洋館を舞台に、“私”は怪奇小説を書きはじめるのだが…。本格ミステリーとホラーが見事に融合する三津田信三ワールドの記念すべき最初の作品が遂に登場。
散歩をしていた途中、竹藪の中に見つけた不思議な空気を纏う寂れた洋館。
主人公の「私」、三津田信三はその洋館の雰囲気を気に入り、様々な過程を経て洋館に住むことになった。
その洋館には様々な謂れがあった。
海外から運び出したというこの洋館。
そこに住んだ者たちは次々に怪死するという過去があった。
洋館に住み始めた「私」に徐々におかしな出来事が起こり始めた……
この作品の構成はフィクション内の現実世界とフィクション内の小説世界が交互に織りなされており、どちらがどっちの世界なのか分からなくなっていく。
徐々にその世界は混濁としていき、そしてついに事件は起きる。
読んだ感想
まず初めに語り口調、文体が私の性に合っていたんですね。
それだけで読書っていうものは楽しくなってしまう。物語以前に読むこと自体が楽しくなってしまうんですよ。
舞台は刀城言耶シリーズのような寒村ではなく浅草やら武蔵野やらと決して都会ではないがかなりの田舎と云う訳でも無い良い塩梅の雰囲気漂う土地なので、読んでいて変な疲れもなく心地良いです。
なのに内容は気味の悪いホラーミステリー。
このアンバランスがとてもいい。
最後の方は頭が混乱して訳が分からなくなっていきます。
その体感が快感だから私はおかしい。
こんな体験をしてみたい方は是非読んでみてください。
そして一番私が前のめりで読んだ箇所が、小説内で語られる江戸川乱歩論。
特に江戸川乱歩の「陰獣」について。
これがとても興味深いのでそこにも注目してほしいですね。
だから浅草なのですよ。ふふふ(笑)
是非読んでみてください!
最後に
ここまで読んでくださった方有難うございます。
今回は三津田信三さんの作品を紹介させていただきました。
この系統の作品は面白いですね。
京極夏彦、横溝正史、江戸川乱歩、北森鴻。
そこから鳥山石燕の画集を買ったり柳田国男の「遠野物語」を読んだりと……
皆さんも興味を持ったらすぐに関連書籍を読んでみましょう(笑)
それでは今回ここまで。
バイバイ(^.^)/~~~