ジョブナイル時代の傑作、ライトノベルの原点「妖精作戦」は時代を進めた
ずっと気になっていてつい最近ようやく読みました。
読んでみてまず文章に圧倒されました。
押し寄せる荒波のような勢いのある文章は初見の私には正直体力がなかったようで最初の方は読むのに手間取ったり、たじろいだこともしばしば。
加えて内容も異常なほどの展開の早さ、風呂敷をこれでもか、と云うぐらいに広げた物語の広大さがこの作品の形成する重要な要素でありこの作品の特徴でもあります。
この作品に影響を受けた作家として有川浩、谷川流、小川一水などの今となっては有名な作家さんがいます。
この作品をうまく紹介できる矜持はありませんが、しかしそれでもやはりこの作品を少しでも後世の記憶に残し受け継いでいかないといけないと思うのです。
それ程にこの作品が小説の、その中でもエンターテイメント性に富んだ、且つ中高生、若年層に向けた単純なドキドキを伝え得るジョブナイルの、そして昨今でいうライトノベル界の礎的存在と云うか、そう云ったジャンルに大きな影響を与えたのです。
今を知るには昔を知らねば今は知れないのです。
だからこそ若者はいまこそ「妖精作戦」を読まねばならないのです!
そして私は「妖精作戦」を紹介するのです!
「妖精作戦」
夏休みの最後の夜、オールナイト映画をハシゴした高校二年の榊は、早朝の新宿駅で一人の少女に出会う。小牧ノブ―この日、彼の高校へ転校してきた同学年の女子であり、超国家組織に追われる並外れた超能力の持ち主だった。彼女を守るべく雇われた私立探偵の奮闘むなしくさらわれてしまうが、友人たちは後を追い横須賀港に停泊する巨大原潜に侵入する。歴史を変えた4部作開幕。
新宿駅で切符の買い方が分からないほどの機械音痴の小牧ノブ。映画をハシゴした帰りの榊は見かねて彼女を目的地まで同行する。
しかし彼女には秘密があった。
彼女は超能力者だったのだ。
それも超国家組織に追われる並外れた力を有した超能力者で何やらその組織は彼女を「月」に連れて行こうと画策しているらしい。
組織は彼女を誘拐しようと様々な刺客を繰り出してくる。
それら魔の手から彼女を守るのは勿論主人公の榊、と思いきや榊は正直あまり活躍しないんですよね(笑)
活躍するのは榊のルームメイトで友人の沖田に真田。ノブのクラスメイトで新聞部部長の鳴海 つばさ。同じく新聞部部員で榊のルームメイト和田。そして自動車部部長の南部。こいつらが高校生とは思えない知恵と突飛な行動力でどうにか組織に対抗していきます。
しかしそこは矢張り高校生。学生の力だけではどうにもできないことがあります。そこを補うのが今回一番の苦労者であろう、私立探偵でノブのボディーガードの依頼を受けた平沢 千明。
輸出用のモンスターバイクCB1100Rをかっ飛ばし、ジャンパーの奥の357マグナムに手をのばし小牧ノブをさらった前の車に照準を合わせる。
その後ろを沖田がバイクで食らいつく。
小牧ノブは難なく取り返すことができたが……
小牧ノブは他の周りの人たちを巻き込ませないよう一人夜に寮を出た。
そのあとすぐに組織に連れ去られる小牧ノブ。
それをたまたま一部始終を見た榊は彼女を救うべく組織の組員に立ち向かうがその試みは呆気なく失敗に終わり榊も一緒に薬で眠らされ連れ去られていく。
連れ去られた先は横浜港に潜伏する巨大な潜水艦。
はたして彼らの目的は!?
読んだ感想
基本的三人称なのでこれと云って決まった人物の視点がある訳ではないのですが、だからと云って三人称は様々な視点が次々に変わる人称と云う訳ではありません。基本的には神の視点と云った絶対的俯瞰する傍観者が物語を語るのですがこの作品の三人称はとても多くの場面転換を見せそれと同時に物語展開を見せるのです。
そのことによってこの物語の圧倒的軽快なスピーディーさが如実になり物語展開によって世界観を飛躍的に壮大化させました。
それでいてその世界観の物語で動くのが個性的な面々。
このキャラクター性に富んだ登場人物たちがこの作品の最高の産物なのだと思います。
その時代こういった作品は少なかった。いやなかったと云っても過言ではありません。
それをまず始めたと云った点にこの作品に高い価値があります。
そして今と比べても何ら遜色ないストーリーにキャラクターと云うのがもう一つこの作品の高い価値を証明しています。
もしかしたら昨今のライトノベル作品よりも癖の強いキャラクターたちかもしれません。
そしてこの作品はそれまでの定番を踏襲しているともいえます。
それが典型的な物語の始まりであり核である「ボーイミーツガール」です。
最近では「君の名は」もこの定型に該当するのです。
つまり今でもこの形は大きな市民権を得ている訳です。
それらすべての面白要素を持った上でSF的な重厚感のある物語を軽快に展開している。
もしかしたらエンターテイメントでこの小説は大きな転換期を迎えさせ、具体的には分かりませんが今となっては当然となった価値観をまず初めにその壁をジャンプした作品かもしれません。まあ、ここら辺は私の憶測であり推測です。
そんな色んな事がてんこ盛りの作品「妖精作戦」
是非読んでみてください。
最後に
ここまで読んでくださった方有難うございます。
今回はここまでです。
それではバイバイ(^_^)/~
雑記でも書こうとするが大学約二か月経とうと云うのに友達もいない私の無味乾燥な日常を語っても意味ないな
私は大学が嫌いなわけではない。
大学の講義はとても興味深いものばかりで、図書館での読書も心地よく、また他にもDVDやBlu-rayなどを媒体とした映像作品を観られる設備もあって大学生活は楽しいことだらけだ。
高校生のころ思い描いていたキャンパスライフじゃないけど……
学友と学問の話に花を咲かすことなんてないし、サークルでの交友関係に笑顔を見せて、女の子と話しちゃったりして、キャッキャ、ウフフで、そんなことあるわけねぇじゃん。
まあサークルにすら入らなかった自分はスタートラインにすら立たなかった奴で落ち度は多少自分にあるのは分かっていますが。
だからって友達一人もできないのはおかしい。
と云うか大学一日目にして周りの奴らはもうグループ形成していて普通に驚いたわ。
お前らどんだけコミュニケーション能力高けぇんだよ。その能力もっと違うところで発揮したら社会にも貢献できるだろ。
私なんかはもう能力つながりで「リセット」したいですよ。
一人遊びが日々うまくなっていって、なんだかなあ。
と云うことで今回は誰も興味ないであろう私の一日でも紹介していこうと思います。
大学に辿り着くまでの道程
私は五時起きである。母から起こして貰うのが通例だ。母には感謝してもしきれないだろう。
起きてすぐに朝食を食べて、その後二度寝。約十五分後に起きて洗顔をする。
そして重い足を一歩一歩確実に踏み出して私は玄関を出るのだ。
最近は玄関開けてすぐに朝とは思えないほどの強い陽光の照射が私の身体を攻撃して眉間に皺が寄るのは必須。
それでも大学に辿り着くため私は振り向かずに前に歩を進める。
最寄り駅までは約三十分。最近は慣れてきたのか約二十分で着くことができるようになった。
駅までの道程はiphoneで音楽を聴く。最近は物語シリーズ「恋物語」のOPテーマ「木枯らしセンティメンタル」を聴いている。貝木泥舟の声がいいんですよ。
そして人がひしめき合う駅に辿り着く。ここでもう辟易とする。こんなにも多くの人がこの街にいたのか。少子化問題が提起されるが大人は増える一方だな、と毎日思う。
リュックを前に抱えて満員電車に乗り込む。最初の二つの駅は乗る人もまばらだが三つ目の駅はどうしてあんなに多くの人が乗り込むのだろう。そのほとんどがその次の駅で降りるのに、お前ら歩いて隣の駅に行けよ! と自分勝手な事をいつも思う。
だって後ろから突進のように後ろから押し潰してくるんだよ? ポケモンで云ったら「とっしん」って自分にもダメージがいくよね。自分のことを考えれば絶対にそんなことはしちゃいけないんだよ。だからみんな歩け。そして私は空いた電車を快適に乗車する。
電車の中でよく無意識なのかそれとも意図的なのか隣の女性が肩を寄せ付けてくる。そこまで混んでもないのに隣のスペースちょっと余裕あるのに敢えてとしかいいようがないくらいに寄せてくる。
私なんかは日々痴漢の冤罪対策で両手で吊革を掴んだり、本を読んでどうにか両手をふさいでいる。それだと云うのに何なんだ! そんなにも私を痴漢に仕立て上げたいのか、女性は肩を寄せ付けてくる。自意識過剰な私はもう頭は回転しっぱなし。
次の駅で「この人触ってきました」と私の手首をつかんで叫ぶんじゃないか? そうしたら私はまず弁護士に電話をするべきなのか、それとも素直に駅員に従ってついていくべきなのか。その時の女のしたり顔なんか想像したら頭に血が上りそうだ。一発殴ってそのあと雄弁にお前の嘘を暴いてやる、なんて考えてしまって冷汗が止まらない。
もう、どうしてくれるんだ、と広告に視線を移しながら自然に隣の女性を確認すると、その女性は何もなかったように下車した。つまり私の自意識過剰だったのだ。
そして毎回こういった事態が起きた時私は考える。これは果たして私の自意識過剰にすべての落ち度があるのか? いや違う。肩を寄せ付けてきた女性が悪いはずだ。
寄せ付けてこなかったら私は不安に冷や汗をかかなかったし、あれやこれや杞憂になろう思考をせずに済んだ。
だから私は悪くない! とまたも自分勝手な結論を導く。
一応誤解されている方がいたら悪いので云わせていただければ私は決して女性を貶している訳ではない。肩を寄せ付けてきたら男性でも女性でもちょっと嫌なだけなんです。
決して女性差別を促進する様な事ではないのでここで陳謝させていただきます。
まあ、そんな杞憂に悩みながら私は満員電車を乗り切っている。
そう云えば最近の出来事、隣に座っていた男性の携帯電話の画面がたまたま見えてしまったことがある。それに対しては完全に私が悪いのは自明なのだがその画面の内容がこれまたすごかった。
その画面に映し出されたのは紛うことなきエロ漫画であった。絶賛放送中のアニメ「エロマンガ先生」ではなく、まさに本物。それもちょうど行為をおっぱじめていたのである。
見てしまった私の方がちょっと赤面してしまった。しかしどうだろう、当の本人は悠然と画面をスライドさせている。この時ほど「男らしい」と思ったことはない。これが「男」の中の「男」であり世の女はこういった「男」に伴侶になって貰うのが良かろうと私は思った。いや、まあ冗談ですが。
そんなことがあってやっと電車からの魔の手から逃れると遂に大学に辿り着く。
その地に踏み出す足は勿論ひとつ。友達などいない。周りがガヤガヤしゃべりながら構内に入っていく中、私はちゃんと警備員さんに「おはようございます」と云われたらビクビクしながら頭を下げている。後ろの方で元気よく「おはようございます!」と返答する学生の声が聞こえた……
そんなこんなでついに私は大学に辿り着き、今日も今日とて大学生活が始まるのである。
最後に
今回はとんでもなくどうでもいいことを書かせていただきました。
どうせ興味ある人なんていないと思います。
ではなぜこんな記事を書いたのか。承認欲求だったのか。
しかしそう云った理由じゃないと思うんですよね。そう云う訳じゃなくてもっと、なんというか、こう、これこれこうした、そう、あんな感じの、あれですよ、あれ、分かりますよね……やっぱり承認欲求でしょうか(笑)
まあ、変な記事を書いてすみません。
そんななかここまで読んでくださった稀有な方がいましたら感謝申し上げます。
それでは今回はここまで。
バイバイ(^_^)/~
P.S 大学で最近観た映画で「舟を編む」が面白かったです。あれは何回見ても面白いですね。音楽も役者も演出も、どれもが私好みです。また観ようかな。
あの頃、私は「君の膵臓をたべたい」という本を手に取った。そして読んだんだ
文庫もされ映画化も決まり本屋大賞にもノミネートされ今や絶大な人気となった作品。
何と云ってもこのタイトル!
「君の膵臓をたべたい」と云うインパクト大なタイトルを一度見たら忘れられないはずです。
そんな作品ですが私がこの作品と出会ったのは回顧するともう約二年の時間が過ぎ去りました。
学校での休み時間などを使って読む本とは別に自宅で朝食を食べ終えて学校に行くまでの僅かな時間を使って読んだ「キミスイ」
最初はよくある青春小説、恋愛小説だと思っていた。
実際読んでみればそんな陳腐な言葉では片付けられないほどに爽やかで掛け替えない愛おしい小説だった。
カーテンを通して薄っすらと透き抜けてきた朝の陽光。鳥の囀りを背景音楽に1ページ、1ページフィクションと云う名の命を捲りながら……私は当時読んでいました。
なんてクサい描写はさておき(笑)
しかしそんな読書をしていたからなのか、それとも内容がそれほどに素晴らしかったのか、どちらにしても「キミスイ」と云う作品が私の記憶に強い印象を残したのは事実です。
そんな事実を踏まえればこの作品には惹かれる要素があるのは自明です。
そしてその惹かれる要素、私にとってその要素は「救い」でした。
私はどこかでこの作品を通して救いを求めているんだと思います。
内容はどうなのかはあえて云いませんが、しかしあなたもどこかで思うはずです。
この世界にはまだ救いがあるんだって。
しかしそれはただの「救い」じゃなくて。
一見してこの作品には「救い」はない。しかし私はそこに「救い」を見出したんです。
恋愛じゃない。友情じゃない。この作品はそれらを一つ一つ提示しているんじゃない。
それらすべてを覆って語っているんです。
皆の救いであり「幸せ」を。
詳しく説明していきましょう。
「君の膵臓をたべたい」
ある日、高校生の僕は病院で一冊の文庫本を拾う。タイトルは「共病文庫」。それはクラスメイトである山内桜良が綴った、秘密の日記帳だった。そこには、彼女の余命が膵臓の病気により、もういくばくもないと書かれていて―。読後、きっとこのタイトルに涙する。「名前のない僕」と「日常のない彼女」が織りなす、大ベストセラー青春小説!
山内桜良はクラスの中でも人気者で「僕」とは到底立つべき舞台が違う。いや、「僕」は舞台にすら立っていない。
そんな二人。
物語は曇天の空、彼女、山内桜良の葬儀の場面から始まる。
クラスメイト達は銘銘葬式に参列しているのだろう。
しかし「僕」は自室のベットに寝転びながら文庫本を読んでいた。
読み終わる頃には夕方でその時間を知らせる電話が鳴る。
電話はなんてことない母からのものだった。
通話を終え、「彼女」に送ったメールの存在を思い出す。
「君の膵臓を食べたい」
彼女はこれをどのように受け取ったのか。そもそも読んでいるのか。
もう答えてくれる人物はいない。
彼女は死んだのだ。
と云う感じで(こんな文章は小説にはありませんよ。私が伝わりやすいようにそれっぽく書いてみたんです)プロローグが終わります。
そう彼女が死んだことは前提条件であり結果なのです。
前提なのに結果っておかしいですね(笑)
そんな寂寥感漂ったプロローグから次に図書室の場面で山内桜良と「僕」の会話のシーンが続きます。
遂に青春物語の始まりと云った感じ。
しかし物語が進んでいくとなんというか既存の青春小説のような爽やかさとは一種異なった青春ですね。
爽やかは爽やかなんですか、既存のものよりも個人的に憧れる様な描写があったりと、なんていうんですかね、そうですね……
大人の爽やかさ、とでも表現しましょうか。
そんな雰囲気を纏っているんですね。
それが読んでいて心地好いんです。
そしてなんといっても山内桜良と「僕」、二人の関係性がとてもいい。
近過ぎず、遠過ぎず、知らないようで、核心をつく、不思議な関係性。
淡白だった二人の物語を徐々に色づかせていく瑞々しい時間。
ときに時間は蟠りを緩和して、ときに時間は関係性を強めて、ときに時間は残酷なことを突然知らせてくれる。
読んだ感想
青春小説の特殊性とはつまりあの時にしかできなかった事、あの時にしか感じられなかった気持ち、あの時にしか味わえなかった環境。
それらを思い出させてくれたり出来なかったからこそ代わりにやってくれたり、そんな感覚を味わせてくれるのが青春小説だと思っています。
しかしこの作品はただの青春小説ではないんです。
この小説は所謂青春時代で「命の儚さ」を語っているんです。
命なんて人生のテーマですよ!
そんな永遠のテーマを青春にぶつけてくるなんてのはかなりの実力を要していないと「結局この小説は何を語りたいの?」となってしまう訳です。
しかしこの小説はそこをうまく綺麗に描いているんです。
それに「僕」と云う人物にあまりパーソナリティを与えなかったのも素晴らしい点です。
これを個性溢れる、例えば物事に対して情熱を持って皆を引っ張っていく、みたいなそんな人物だとこの小説は破綻してしまう訳です。
命を語りながら、恋愛を語りながら、青春を語りながら、それらを一挙に語るのは今となってはこの「僕」でしかいないと思います。
淡々とした語りでありながら山内桜良に触発され徐々に変化していく心情。
予定調和を嫌い、ご都合主義を払い除けたこの作品。
最後の最後、終盤では驚きとともに涙が滴ることでしょう。
是非読んでみてください!
最後に
「君の膵臓をたべたい」、すごい人気ですね。
作者さんの住野よるさんは他にも続々と作品を上梓しています。
最近では『か「」く「」し「」ご「」と「』が上梓されました。
とても気になりますね。
と云うことで今回はここまでです。
ここまで読んでくださった方有難うございます。
バイバイ(^_^)/~
テレビドラマ放送中!「櫻子さんの足下には死体が埋まっている」の雰囲気は至高である
「櫻子さんの足下には死体が埋まっている」の作者は太田紫織さんと云う方で子供のころからコナン・ドイルやアガサ・クリスティの作品を愛読していたようです。
なるほど、確かにこの作品「櫻子さんの足下には死体が埋まっている」の推理構造は所謂、名探偵が推理を展開して解決するという推理小説の定番の筋道であり王道です。
その名探偵が今作の表題にもある九条 櫻子(くじょう さくらこ)と云う女性。
得てして名探偵とは変人であるというのが推理小説の常識とまでは云いませんが、広く浸透している認識の一つであります。
この櫻子さんと云う女性も相当の変人です。
職業からして特殊です。
日本でも稀有な職業、骨格標本士なる資格を有しているそうです。
では何故そんな特殊な仕事についているのか。
それは彼女の性癖と云うか趣味と云うかあるものに対してとても強い執着が関わっているのです。
それが「骨」です。
動物が腐敗し皮膚から露出した白い骨。
櫻子さん曰く骨は雄弁と云うことです。
骨はその人物がどの様な生活環境でどの時代の人物であったのかなどを語りかけてくるらしい。
この作品はそんな「骨」が事件のキーとなるガジェット的存在です。
至る所に死んで尚現世に生き続ける空気、その根源的原因こそが「骨」であり逆説的に「骨」こそが一番に死への誘いのしるしであるのです。
今回は一巻のお話を紹介していきたいと思います。
詳しく説明します。
「櫻子さんの足下には死体が埋まっている」
北海道、旭川。平凡な高校生の僕は、レトロなお屋敷に住む美人なお嬢様、櫻子さんと知り合いだ。けれど彼女には、理解出来ない嗜好がある。なんと彼女は「三度の飯より骨が好き」。骨を組み立てる標本士である一方、彼女は殺人事件の謎を解く、検死官の役をもこなす。そこに「死」がある限り、謎を解かずにいられない。そして僕は、今日も彼女に振り回されて…。エンタメ界期待の新人が放つ、最強キャラ×ライトミステリ。
平静で淡白で真っ白なプロローグから始まり、そして最初の物語、第一話(第一骨)「美しい人」に続く。
語り部である館脇 正太郎(たてわき しょうたろう)の母親が所有しているアパートの住人清美と連絡がつかなく清美の妹、好美は心配で櫻子さん、正太郎、母を同伴してアパートに向かった。
部屋の中は散々な有り様だった。家具などは倒されて酷く荒れていた。
そして寝室には息を引き取った清美が横たわっていた。
窓は施錠されドアにはチェーンが掛けられていた。所謂、密室である。
彼女はだれかに殺されたのか? ならば密室の謎は?
第二話(第二骨)は「頭」と云うお話。
正しく人の頭の骨を見つけたことによって物語は展開していきます。
人骨を見つけたことで正太郎は警察に通報。ほどなくして警察官が一人到着しましたが、その警察官の話から近くで心中遺体が見つかったと云う事を聞く。
櫻子さんの要望でその現場に向かった彼女はこれは心中ではないと云い放つ。
果たして彼女の言葉の真意とは?
第三話(第三骨)は「薔薇の木の下」
櫻子さんの友人千代田 薔子(ちよだ しょうこ)の誘いで降霊会に参加することになった櫻子さんと正太郎。
その降霊会には北海道の大物が数名参加した。(この作品の舞台は北海道の旭川)
霊媒師は半年前に亡くなった薔子さんの夫を降霊させた。
その異様な空気に信じ始めた全員。一人を除いて。
櫻子さんは見事これがペテンであると云う事を暴いた。
しかし霊媒師には事情があるようなのだ。
と、以上三つの物語が今回一巻に挿入されている。
どれもこれも読み易く、またミステリーとして完成度も高いので存分に楽しめる一冊となっていることを保証します。
読んだ感想
先述したようにこの推理小説の構造は昔々から脈々と受け継がれた定番の筋道であり王道であるところの天才の探偵役が事件を解決するという展開。
そしてその構造を持った作品の多くは本格推理小説、本格ミステリー、なるジャンルに配されることが往々であります。
しかしこの作品は少々テイストが違うような感覚を覚えました。
所謂どんでん返し系統のミステリー、綾辻行人さんの「十角館の殺人」などは最後の最後でそう云うトリックなのか! と驚愕する。
所謂ロジックシンキングで推理を展開する系統のミステリー、エラリー・クイーンの「Xの悲劇」などは、ふむふむ、こう繋がって、こういう考え方があったのか! とこれまた驚愕する。
けれどこの作品は違います。
正直驚きは少ないです。
この謎のトリックはこうですと論理的構造を示されたところで驚きには欠けました。
論理的にはかなっているが、なんというかトリックとしては少ない感じです。
しかしこの作品で伝えたいのはそこではない。
トリックの奇抜性で読者を楽しませるというよりかはこの事件に関わった人々の心情はどのように変化し、どのようなプロセスでエンディングに向かうか? と云う事を問いかけているのではないかと私は思いました。
ライトミステリーと謳っているようですが、確かに文章は軽快なテンポで紡がれます。けれど内実重厚的なストーリーで世界観を覆っている。ミステリーがガジェットになっているんですね。
何層もの皮を剥ぎそこには事件の解決以上の真実と云う名の「骨」が待っている。
是非読んでみてください!
最後に
久しぶりの更新で申し訳ございません。
どの作品を紹介しようか悩んだりしています。
と云うことでここまで読んでくださった方有難うございます。
今回はここまでです。
バイバイ(^_^)/~
本格ミステリーの復活「占星術殺人事件」を読まずしてミステリーは語れない
今や推理小説として圧倒的な市民権を得た新本格もちょっと昔まではこういった推理小説は認められていなかったんですね。
新本格の推理作家さんで有名なのは綾辻行人さん、有栖川有栖さん、法月倫太郎さん、歌野晶午さん、京極夏彦さん、我孫子武丸さん、森博嗣、et cetera…
Wikipediaを参考にすれば「新本格」と云う言葉が使われたのが綾辻行人さんの二作目「水車館の殺人」の帯から使われ始めたらしいです。その後次第に東京創元社などの他社からデビューした作家さんにも使用されるようになって、ジャンルとして定着したようです。
しかし私はおそらくこの人がいなかったら「新本格」と云うジャンルは誕生しなかったのだと思います。
その方が島田壮司さん。
松本清張の影響もあって推理小説は社会派が中心と云ったミステリー界で突如として現れたのが島田壮司さんの「占星術殺人事件」
けれど当時この作品が上梓してもあまり話題にはならなかったそうです。
矢張り社会派推理小説の影響力が強く受け入れられなかったのでしょうか。
しかしその後も別作品として社会派推理小説の吉敷竹史シリーズを書きながら本格推理の御手洗潔シリーズも書き続け現在ではミステリー界の重鎮です。
今回紹介する「占星術殺人事件」は江戸川乱歩賞の最終選考まで残った作品だそうです。
内容に関しては受賞してもおかしくないのですが。
何と云ってもこのトリックがすごい。
単純なようでわからない。
詳しく紹介していきます。
「占星術殺人事件」
密室で殺された画家が遺した手記には、六人の処女の肉体から完璧な女=アゾートを創る計画が書かれていた。その後、彼の六人の娘たちが行方不明となり、一部を切り取られた惨殺遺体となって発見された。事件から四十数年、迷宮入りした猟奇殺人のトリックとは!?名探偵御手洗潔を生んだ衝撃作の完全版登場!
この推理小説では現在進行形で登場人物が事件に巻き込まれて事件を解決していく、と云うものではなく約四十年前の未解決事件に名探偵の御手洗潔が立ち向かう、と云った感じ。
最初は「AZOTH」と云う私自身のために描かれた小説と云う文句で進んでいく謎の文章が羅列していく。
梅沢平吉なる画家の遺書と云うこと。
内容は「占星術」に関してのことが滔々と語られておりここで辟易としてしまう読者の方は多いかもしれません。
しかしこの約四、五十ページを読めばその先にはやっと主要メンバーの御手洗潔と石岡和己の登場です。
ここからは最後まですぐに読めてしまうのではないでしょうか。
信じられないほどに読み易く感じます。
舞台は東京から京都に行ったりといい塩梅で環境変化もあって飽きる事をさせません。
そしてなんといっても最後の最後で明かされる事件の真相はミステリーの読書体験で一生忘れる事が出来ない痺れるものとなっております。
読んだ感想
画家の梅沢平吉が自宅のアトリエで密室状態で殺害されていた。
事件のあった日は雪が降っていた。
この密室殺人では雪の上の足跡がポイントになります。
まず初めにこの事件のトリックが明かされ物語が始まって早々に一つの解決で勢いがつきました。
しかしその次が難題です。
その密室殺人が起きたその後6人の姉妹が頭、肩、胸、腰、大腿部、下足部が切り取られた状態の死体が発見された。
この奇怪な事件が今回の「占星術殺人事件」の大きな謎の一つ。
この事件のトリックが最後のカタストロフィを素晴らしいものに仕上げています。
詳しくは語れませんがこれを読まずしてミステリーは語れないと云っても過言ではないので是非ご一読をお勧めします。
最後に
今回は本格ミステリー作品を紹介させていただきました。
今や重鎮となられた島田壮司さんの作品はその他も面白いので是非是非調べてみてください。
それでは今回はここらへんで。
( ´Д`)ノ~バイバイ
村上龍、衝撃のデビュー作「限りなく透明に近いブルー」は淡く、冷徹
村上春樹と村上龍でダブル村上なんて呼ばれている二人。
しかし作風は決して似ていると云う訳ではありません。
全く別の切り口から純文学を描く。
殊に村上龍処女作の「限りなく透明に近いブルー」はそれが顕著です。
そしてこの作品の読書体験は同時に衝撃です。
今でも読んで衝撃ですが、当時の文壇、なんて想像すると色々な意味で荒れていたのではないでしょうか。
群像新人文学賞、芥川賞受賞のこの作品。
処女作で芥川賞を受賞してしまうんですね。
最近では又吉直樹さん「火花」が小説としては処女作で芥川賞を受賞で大きな話題を呼びましたが、普通に考えるととんでもないことですよね。
そんな又吉さんは二作目に「劇場」が単行本で発売予定で私は今からワクワクしています。(新潮には掲載されています)
単行本・文庫本の発行部数は芥川賞受賞作ではトップ。
表現などがとてもユニークと云うか前衛的なんですね。
良く比べられるのが石原慎太郎の「太陽の季節」
荒廃的な男女の物語と云う点で類似点が多いのでしょうか。
詳しく紹介していきます。
「限りなく透明に近いブルー」
福生の米軍基地に近い原色の街。いわゆるハウスを舞台に、日常的にくり返される麻薬とセックスの宴。陶酔を求めてうごめく若者、黒人、女たちの、もろくて哀しいきずな。スキャンダラスにみえる青春の、奥にひそむ深い亀裂を醒めた感性と詩的イメージとでみごとに描く鮮烈な文学。群像新人賞、芥川賞受賞。
麻薬とセックスに明け暮れる毎日を主人公の客観的で冷徹、一見して淡白な文体だがそれを自然に受け入れさせるのだからこの作品の評価されるのが分かる。
この作品には多くのセックスシーンが描写される。
直接的な描写なんて数えたらきりがない。
なのにどうしてここまで「清潔感」がある。
やはりこの平易な文体で暴力的な内容が読んでいて素晴らしい。
読んだ感想
読めば分かる、としか云えないのがこの作品の紹介しづらい点。
必要な文章しかなく、逆説的にそれをコンパクトに要約しようものならこの作品の良さは一掃されてしまう。
そう云った作品だ。
それでもどうにかこの作品の良さを伝えるのであればやはり何度も云うようだが、この作品の文体に高い評価がある。
平易な文章にここまで書いていいのか? と云うほどに暴力的で問題のある内容。それを赤裸々に告白している。
一見アンバランスの様に見えるそれをこれしかない! と云う最高のバランス感覚で描き切った。
今思い起こしてみるとこの作品はどことなくカフカの「変身」を彷彿とさせます。
ただ事実しか語らない。そこから見える自分だけの真実。
どんな観点から見ても不思議で、そしてどうしようもなく惹かれる。
「限りなく透明に近いブルー」是非読んでみてください。
最後に
更新頻度が低くなっていく一方ですね。
頑張って書いていきたいと思います。
今回はここまで。
( ´Д`)ノ~バイバイ
「葉桜の季節に君を想うということ」には賛否両論が多いようだ
今回紹介するのはミステリー好事家界隈では有名な歌野晶午さんの有名作「葉桜の季節に君を想うということ」です。
所謂どんでん返し系統に属するであろうこの作品、私も見事に騙されましたが、この騙されたトリックに対してミステリーファンには賛否両論あるようですね。
私のスタンスは小説(特に大衆文学)は娯楽であり自分が楽しめていれば良いのである、なんて思っているので私自身は受け入れているのですが、その逆も然りなのでどうとも云えないですねぇ。
唯一云えることはそれ程この作品に対しての意見が多く述べられている。と云うことは多くの方に読まれていると云うこと。
つまり有名作と云うことです。
そんな有名作を詳しく紹介していきましょう!
「葉桜の季節に君を想うということ」
「何でもやってやろう屋」を自称する元私立探偵・成瀬将虎は、同じフィットネスクラブに通う愛子から悪質な霊感商法の調査を依頼された。そんな折、自殺を図ろうとしているところを救った麻宮さくらと運命の出会いを果たして―。あらゆるミステリーの賞を総なめにした本作は、必ず二度、三度と読みたくなる究極の徹夜本です。
先程この作品にはどんでん返しがあると云いましたが、そのどんでん返し一つだけではないんですね。
大きなどんでん返しは最後の最後に「それアリ?」ってぐらいのがあるんですが、その前にも幾つものどんでん返しと云うか「そうだったのか」という所謂事件の解決が有るわけです。
つまりこの作品内には様々な事件が色々な時系列で同時進行していくんですね。
その事件一つ一つがとても重厚的なものとなっております。
探偵が解決する推理ものというよりかはサスペンスに近いかな? ハラハラドキドキと云う場面がいくつもあって本格推理ではないですがそう云った冒険小説的な部分は好きでしたね。
それに結構読み易いんです。
読んだ感想
悪徳商法を調査する主人公。
何と云ってもその過程が面白かったです。
最後のカタストロフィに関しては賛否両論ありますが、そこに行き着くまでの過程、道程はとても面白いものだと思います。
先述したようにハラハラドキドキするんですね。
この筆致は流石だな、と思ってしまう。
主人公のやくざ時代のお話も同時進行で進んでいき、交差していくんでこれまた面白い構成になっています。
と云っても私、この作品を随分と前に読んだのでちょっと忘れている部分もちらほらなんで、正直あの時の躍動感を思い出せなかったりするんですよねぇ。
私も読み返そうかな。
と云うことで「葉桜の季節に君を想うということ」でした。
是非読んでみてください!
最後に
ここまで読んでくださった方有難うございます。
それでは今回はここまで!
( ´Д`)ノ~バイバイ