【おすすめ純文学】中村文則『銃』衝撃のデビュー作【新潮新人賞受賞作】
こんな文学を読んだことがあるか?
恐らく現代文学では異質な作風で、だからこその衝撃なのである。
内容は青年が偶然にも拳銃を拾って、そこから青年の日常が徐々に狂い始める。
拳銃を所持することによって生じる青年の苦悩を描くという、なんとも一昔前の文学の匂いは懐かしくもあり、やはりこういう作品が好きだという再確認でもある。
是こそ文学であり、文学の面白さを改めて気づかせてくれた作品。
『銃』、それでは。
中村文則『銃』
雨が降りしきる河原で大学生の西川が出会った動かなくなっていた男、その傍らに落ちていた黒い物体。圧倒的な美しさと存在感を持つ「銃」に魅せられた彼はやがて、「私はいつか拳銃を撃つ」という確信を持つようになるのだが…。TVで流れる事件のニュース、突然の刑事の訪問―次第に追いつめられて行く中、西川が下した決断とは?新潮新人賞を受賞した衝撃のデビュー作。単行本未収録小説「火」を併録。
降雨の中、河原の橋の下で雨宿りをしていると、少し遠くに黒い物体が転がっているのが見えた。
黒い影に近づいてみると、それは人間であり、こめかみから血が噴出しているのが確認できた。
そして少し離れたところに銀色に輝く「銃」が転がっていた。
主人公の「西川」は「銃」を見て、その圧倒的な美しさ、存在感にすべての意識が吸い込まれていった。
西川は、それが犯罪であることを承知の上で拳銃をポケットに詰め込み、盗んでしまう。
その後、彼は拳銃の魅力に憑りつかれたように、日常を拳銃中心に活動し、拳銃を愛でることで自身の精神が安定していることを自覚するまでに至った。
今まで面倒だった大学でさえ拳銃を所持したことで、快く大学に赴く気になり、レポートも率先して書くようになった。
彼の生活に拳銃が加わることで彼の日常はなんと幸福なものになっていった。
しかしある時、いやそれは「銃」を所持してから沸々と湧き上がる情動だった。
彼はいつしかこの「銃」を撃つという確信を持ち始めていた。
そして遂に撃ってしまった。
真夜中の公園で、片腕を失ったネコ。
拳銃を構えるとガタガタと震える手。しかしその情動は止められなかった。
銃弾を発射した直後にやっと周りを確認する西川。
しかして数日後、彼のアパートに一人の刑事が訪れた。
銃声が鳴ったという通報があり、目撃証言としてその夜、ポケットに片手を突っ込み、笑いながら走っていた西川をコンビニ店員が見ていたのである。
証拠は何もない。しかしその刑事は十中八九、犯人は西川であり、そして先日の河原での事件も殺人ではなく、誰かが拳銃を持ち去っただけだと推理し、西川と繋がりがあるのでは、と睨んでいる。
証拠はなく、忠告をするだけにとどまった刑事。
西川は刑事の忠告を理解しながらも、次は人間を銃で殺害するんだという欲求を止められないでいた。
果たして彼が下す結末とは?
読んだ感想
最初の文から引き込まれる作品。
昨日、私は拳銃を拾った。あるいは盗んだのかもしれないが、私にはよくわからない。これ程美しく、手に持ちやすいものを、私は他に知らない。今まで拳銃に興味をもったことなどなかったが、あの時私は、それを手に入れることしか考えることができなかった。
気付いた方もいるかもしれないが、カミュの『異邦人』冒頭の文「きょう、ママンが死んだ」を彷彿とさせる一文にハッとさせられる。
まずここから私はもう魅了されていたのかもしれない。
そこから紡がれる西川の物語はなんと冷徹な狂気に満ちたことか!
これは人間を描いた作品でなく、人間の皮を被った狂気を描いた作品なのだろうと感じている。
西川は表面的にはいたって普通の大学生として存在している。
しかしその内面は理解などできない思考回路、そして感情の連続であった。
だが、いつしかそれは共感にも似た理解へと繋がり、徐々に西川という人物に好感を覚えてきてしまう。
なんと危険な小説だろうか。
これはフィクションであり、自分が実際にこんなことを行わない自信はある。
しかしまたこれを読み返すと、私はもしかしたらこの同じ状況で彼と同じ行動を辿るのではないか、と不安が去来する。
それほどにエネルギッシュに、私たちを惑わるパワーがこの作品には内包している。
文学のまた一つの特異点だと個人的に思っている。
是非、ご一読をお勧めする。
最後に
同収録の『火』という小説も可笑しく、狂気的な作品である。
終始、私はこれを理解したくないと思えるほどに恐怖に包まれた、ある一人の女性についての物語だった。
是非こちらも。
それでは今回はこの辺で。
【おすすめミステリー】西尾維新『クビシメロマンチスト 人間失格・零崎人識』京都が舞台のミステリー【戯言シリーズ】
愛の変奏曲であり、賛美歌である。
今回紹介する『クビシメロマンチスト』は「戯言シリーズ」の第二作という立ち位置ながらに、この作品単独でも成立する力を有している。
この作品は異常である。その異常さは前作を超える展開を持ち合わせている。
過去に前作である『クビキリサイクル』について記事を書いていた。
kapibarasensei.hateblo.jp
この処女作に関しても、まさしく西尾維新と言った感じの作品で、ミステリーとしても中々面白いカタチになっている。
また、処女作を皮切りにシリーズ化し、先述した「戯言シリーズ」として西尾維新の代表作の一つにまでなった。
「戯言シリーズ」は全6タイトル、9巻、外伝の「人間シリーズ」などを合わせれば数多くのシリーズ規模になっている。
「戯言シリーズ」はそれぞれ一冊ごとに個性豊かな物語を紡いでいる。
当初はミステリーの体裁をとっていたシリーズなのだが、巻を追うごとに推理小説要素は薄れていき、全く別ジャンルの小説への変容を見せている稀有なシリーズでもある。
そんな数多く、多種多様な作品が存在する「戯言シリーズ」の中で一番の傑作は個人的に『クビシメロマンチスト』だと思っている。
西尾維新はデビュー当時「京都の二十歳」として話題を呼んだ。
西尾維新の青春は京都を舞台にしており、『クビシメロマンチスト』ではその京都を舞台にミステリーを繰り広げている。
京都の雰囲気は全く独特で、哀愁を醸し出す、京都と言うだけでワクワクする舞台装置なのである。
今回の『クビシメロマンチスト』ではそれら良さを集約した素晴らしいミステリーとして成立させ、ライトノベルとしても読みやすい体裁になっている。
では、そんな『クビシメロマンチスト』を見ていきたいと思う。
西尾維新『クビシメロマンチスト』
人を愛することは容易いが、人を愛し続けることは難しい。人を殺すことは容易くとも、人を殺し続けることが難しいように。生来の性質としか言えないだろう、どのような状況であれ真実から目を逸らすことができず、ついに欺瞞なる概念を知ることなくこの歳まで生きてきてしまった誠実な正直者、つまりこのぼくは、五月、零崎人識という名前の殺人鬼と遭遇することになった。それは唐突な出会いであり、また必然的な出会いでもあった。そいつは刃物のような意志であり、刃物のような力学であり、そして刃物のような戯言だった。その一方で、ぼくは大学のクラスメイトとちょっとした交流をすることになるのだが、まあそれについてはなんというのだろう、どこから話していいものかわからない。ほら、やっぱり、人として嘘をつくわけにはいかないし―戯言シリーズ第二弾。
主人公であり、語り部である「ぼく」はクラスメイトの葵井巫女子(あおいい みここ)に親友の誕生日パーティーに招待される。
それと同じくして「ぼく」は京都を震撼させる連続殺人鬼、零崎人識(ぜろざき ひとしき)と邂逅する。
「ぼく」はその後、渋々ながらにくだんの誕生日パーティーに参加する。そこには葵井を含めた4人が居た。
「ぼく」は4人と交流し、それなりに楽しい時間を過ごした。
しかし翌日、警察が「ぼく」のところに訪れて、昨日のパーティーの主役でもあった江本智恵(えもと ともえ)が何者かによって殺害されたことを伝えられる。
「ぼく」はその殺人事件になにやら思うところがあるらしく、零崎とともに事件について調べていくことになった。
後味が最悪の作品としても有名で、しかして本格ミステリーとしては想像以上にしっかりとしている作品としても有名。
西尾維新の最高傑作と、今でも議論が絶えない傑作である。
昨今の西尾維新の作品は正直、ミステリーとしては、なんかな……、と思っている。
『掟上今日子の備忘録』ではライトなミステリーも描いているが、もっと本格的な、けれどやはり読みやすい、となれば『クビシメロマンチスト』はおすすめである。
アニメ化で人気を博した「物語シリーズ」などの原点と言って過言ではない作品なので、西尾維新で何の作品を読もうか、と言う人にはまず最初に「戯言シリーズ」の『クビキリサイクル』と『クビシメロマンチスト』を。
時系列的には『クビキリサイクル』が始まりだが、それぞれに事件が完結しており、登場人物もほとんど一新されている。
どちらから読んでも差し支えない作品だ。
読んだ感想
西尾維新はこの作品を3日で書き上げたらしい。
それが頷けるほどに勢いのある作品に仕上がっている。
個人的に西尾維新の作風は独特の語り口調や独特の登場人物によって形成される、普遍を行かず、我流を目指している、と勝手に解釈している。
その作風に賛否はあるだろうが、私はそういった作風をまず最初に確立したことに栄誉があると考えている。
これはライトノベルを読んでいてよく感じるのだが、西尾維新らしい文章を散見することがしばしばある。
それはつまり西尾維新の影響力でもあるし、それほどに受け入れられている証左なのである。
しかしてこの『クビシメロマンチスト』では今よりも鳴りを潜めている。
当時の他作品と比べれば確かに独特の文章かもしれないが、やはり現在の西尾維新よりはその成分が薄いと思う。
だからこそ万人に読みやすいとも思うし、だからこそ若かりし頃の西尾維新の狂気的で激しい部分を感じることが出来ると思う。
内容は「愛」について、そして「狂気」について。
純粋だと思っていた「愛」はいつしか自分でも分からないうちに「狂気」へと変貌してしまっているかもしれない。
また探偵役である「ぼく」と行動を共にする相手、つまりワトソン的役回りが、副題にも出ている零崎という殺人鬼なのである。
この組み合わせが一見してアンバランスのように見えて、結構気の合う二人なのだが、ここで殺人鬼を登場させることに大きな意味があるのではないかと思っている。
つまりは殺人欲求、または「人殺しの容認」の問いである。
「ぼく」は零崎に対して「そこに鏡があった」、零崎は「ぼく」に対して「そっくりさん」と呼んでいる。
しかして零崎の「殺人は許容できるか?」という問いに対しては、
「許すだの許さないだの、そういう問題じゃない。許容云々以前の問題なんだよ、それは。人殺しは最悪だ。断言しよう。人を殺したいという気持ちは史上最低の劣情だ。他人の死を望み祈り願い念じる行為は、どうやっても救いようのない悪意だ。なぜならそれは償えない罪だから。謝罪も贖罪もできない罪悪に、許容も何もへったくれも、そんなことはぼくの知ったことじゃないね」
以上の答を零崎に言っている。
しかしてその最悪の殺人を行う零崎には共感している部分を見出している。
「ぼく」も含めて、いや、「ぼく」を中心に作品中の登場人物は狂気的である。
どこかネジが外れている。
普通では語れない。
それが『クビシメロマンチスト』である。
最後に
今回は『クビシメロマンチスト』
京都が舞台というのはそれだけで価値が付与される魔法がある。
そういう点では森見登美彦とかは最強だ。
今度、京都を舞台にした作品群を紹介したいと思う。
いつになるかは分からないが……
それまでにいろいろと京都が舞台の小説を読みたいと思う。
それではこの辺で。
【おすすめライトノベル】さがら総『さびしがりやのロリフェラトゥ』怪奇! 青春ラノベの新世界!【ガガガ文庫】
吸血鬼とは何者か?
それは血を吸う化け物の類だと噂されている。
血を吸うことでその対象者の生気を奪い取り、生前と変わらぬ姿を手に入れている。
つまり、永遠の若さを手に入れ、死という概念からの脱却を獲得しているのである。
昨今のフィクションでは吸血鬼に血を吸われた対象者は眷属として吸血鬼の仲間入りを果たすらしい。
また蝙蝠や鼠、虫などに変身することも可能で、しかし日光は弱点であり、地域によってはキリスト教の祭日などにも活動は困難らしい。
元々何故吸血鬼になってしまうのか?
先述したように吸血鬼に血を吸われたことによって眷属になる場合もあるが、ではそれ以外は?
一説によると生前に神を冒涜、犯罪に手を染める、事故死、自殺などの原因が考えられる。
吸血鬼の名を知らしめたのは「物語」の影響力もある。
ブラム・ストーカーの『ドラキュラ』、シェリダン・レ・ファニュの『カーミラ』など。
それぞれにヴラド三世、カーミラの名はドラキュラという存在の確立に一役担っているのは過言ではない。
しかして実際に「吸血鬼」とは、本当は何者なのだろうか?
見たことがあるだろうか?
会ったことがあるだろうか?
彼ら彼女らは、本当に言い伝え通りの存在なのだろうか?
この世には不思議が満ちている。
私たちが想像を絶する存在がまだこの地球にいるのかもしれない。いや地球を飛び越え宇宙ならもう少し可能性のある話だとは思わないだろうか。
そんな吸血鬼や宇宙人などが登場するお話。
それが『さびしがりやのロリフェラトゥ』である。
さがら総『さびしがりやのロリフェラトゥ』
ぼくらの学校には、世にも奇妙な吸血姫が住んでいる。悩める女子高生、常盤桃香は深夜の旧校舎で怪異と出会うが―「おんし、無礼である。如何なる理由でここを訪れるか」「おでんを作ったので」「…おでん?」―ビッチ系いじめっ子、犬ころ系ロボ子、そして“正義の味方の敵”のぼく。これは、孤独な吸血姫と普通じゃないぼくらが紡ぐ、青春の協奏曲である―「い、いじわるはやめるのであるからしてー!」…いや、道化曲かな。たぶん。『変態王子と笑わない猫。』のさがら総が挑む、新機軸の黄昏ロリポップ!
とある学校には吸血姫が住んでいるという噂がまことしやかに囁かれていた。
しかしそれは真実だった。
理想と現実のバランスに悩める女子高生作家、常盤桃香(ときわ ももか)
彼女は深夜の旧校舎で怪異である吸血姫(ノスフェラトゥ)、シギショアラと出会う。
彼女たちは真夜中の学校で不思議な邂逅を遂げ、不思議な会話を紡ぐ。
そうして徐々に彼女たちは交流を深めていくのだが……
ある時、死体の出現によって、彼女らの友情は一変する。
この作品は複数人の一人称視点で描かれる物語なのだが、ひとつの事件にそれぞれの登場人物からの視点で、物語は多様化し、同時多発的に様々な展開が用意されている。
ある視点からはこのように見えていた物語が、ある視点では全く別の物語への変容を成功させている。
ある視点からは見えなかった物事が、ある視点で明らかになる。
ミステリーのようで、しかしこの作品はトリックなどの小難しいガジェットの披露に重きを置いておらず、あくまでこれは不思議な物語としての体裁を成している。
そう、これは不思議な物語。
女子高生作家は吸血姫に会い、
いじめっ子女子高生は宇宙ロボットと出会い、
そしてこの二人の少女の物語の傍観者的役回りであり、「正義の味方の敵」を自称するミステリアスな少年の物語。
それぞれ関わりの無いような物語は加速度的に一つに繋がっていき、思わぬ結末へと収束していく。
読んだ感想
作品を読んで、似ているなと思った作品がある。
同じライトノベルならば、上遠野浩平『ブギーポップは笑わない』
ジャンルを超えるなら、芥川龍之介『藪の中』
それぞれに相似した物語構造、構成、雰囲気を醸し出している。
多人数視点による物語の複雑化、そして重層化。
吸血鬼や宇宙人の登場による伝記的、怪奇的要素の付与。そこから産物される怪しく、不可思議な雰囲気。
しかして基盤には学校、高校生などの青春的フォーマットを敷いたライトな世界観。
この表と裏のギャップによってこの作品は幾つもの幻惑的現実を描いているのである。
タイトルで敬遠してしまう方もいるだろう。
しかし内容はタイトルから想像する甘ったるいものとは真逆の印象を受けるだろう。
最終的にこの作品を読んだ後は、吸血鬼に血を吸われた後のように生気を失い脱力感に支配される。
一つのどうしようもない物語を読んでしまった、という読後感を味わってしまう。
これは不思議なお話であり、誰もが救われず、しかし誰もが希望を見つけるお話である。
空虚な現実は怪奇や超常によって少しだけ変化する。
ライトノベルというか、また別のジャンルを生み出した作品として是非、お勧めの作品の一つである。
最後に
この作品の寂寥感に私は未だに決着を見出していない。
それほどにこの作品の読後感は空漠とした感覚になってしまう。
そして少し経ってこの作品を思い起こしても、やはり上手く読み終わりの着地点を見つけられない。
モヤモヤもするが、しかし読まなければいけない物語だとも思った。
私たちの日常の少し隣で不思議な存在は生きているのかもしれない……
それではこの辺で。
【おすすめSF小説】野﨑まど『know』情報という脅威! 京都が舞台のSFストーリー【ハヤカワ文庫】
「知る」という行為の恐ろしさ。
この世界は誰がどれほどの情報を有しているかで力の優劣が決定している。
それは学力はもちろんのこと、過去、現在のデータ、そこから予測できる未来のデータ。
経済状況、政治、世界情勢、自然災害。
それらは今までのデータによって算出され、予測される。
情報は力である。
近代戦争や戦国の戦でも情報戦をいかに対策するかで勝敗は決すると言っても過言ではない。
そんな情報が国民の階級ごとに制限され、それによって差別すら生まれてしまった世界が今回紹介する『know』の世界観である。
野﨑まど『know』
超情報化対策として、人造の脳葉“電子葉”の移植が義務化された2081年の日本・京都。情報庁で働く官僚の御野・連レルは、情報素子のコードのなかに恩師であり現在は行方不明の研究者、道終・常イチが残した暗号を発見する。その“啓示”に誘われた先で待っていたのは、ひとりの少女だった。道終の真意もわからぬまま、御野は「すべてを知る」ため彼女と行動をともにする。それは、世界が変わる4日間の始まりだった―
主人公は情報庁の官僚で、審議官の一人、御野・連レル(おのつれる)
情報階級はクラス5であり、実質トップ相当の情報開示特権がある。
この作品世界ではクラスというモノがあり、職業などによって相応の情報階級が割り振られる。
クラスが高ければ高いほど情報を得られ、自身の情報を隠すことが出来る。
対してクラスが低ければ低いほど情報は得られず、自身の情報も開示されてしまう。
そういった階級差異によって下世話な話ではあるが、子どもなどでは異性の同級生に対して覗きまがいの行いをする輩もいる。
しかしなぜそこまで世界に情報が溢れたのか?
それはひとえに「情報材」という発展にあった。
建築物の壁や柱などに「情報材」を使用することで前時代よりも地図アプリなどの位置情報は正確になり、建造物を透過して中身を観ることも可能になった。
それは舞台である京都でも発展し、いやその発展は京都を中心に行われた。
古き街並みを保存しながらも、その実は情報材によって囲まれていた。
また「情報材」以外にも進化があった。
それが「電子葉」である。
これを脳に移植することで、機器を使わず頭の中で直接ネットワークに繋げることが出来るのだ。
以上のような情報技術進化によって世界は格差も生まれながら、快適な社会を形成した。
そんな世界で主人公の連レルは恩師の道終・常イチ(みちおじょういち)が残した暗号を紐解き、とある少女と出会うことになる。
その少女の名が道終・知ル(みちおしる)
そして彼女はクラス9
連レルは彼女に振り回され様々な場所へ行き、様々な人と出会う。
第二章では神護寺で高僧と「悟り」について語り合う。
第三章では京都御所に貯蔵されている古文書の内容から黄泉への道を紐解く。
第四章では同じクラス9と今まで知り得た情報を通じて、人智を超えた邂逅をする。
そして連レルと知ルは「知恵の実」を齧る。
第五章では知ルの死体を見守る連レル。知ルは自ら死の世界に行った。知ルは死後の情報を獲得して、連レルのもとへ帰ってくるのか?
今までの各章で得た「情報」がまさしくここで収束していく。
そして最後に衝撃の結末を迎える。
読んだ感想
ライトノベル的な雰囲気もありつつ本格的なSFを描いている。
骨太なSF設定でありながら仏教思想や古事記などの考えも織り交ぜられている。
そのことによって今までにない京都×SFを完成させた。
また「知る」力の脅威に関しても言及している。というかこれが作品の主軸である。
仏教における「悟り」やイザナミ・イザナギから読み解く黄泉(死後の世界)への道筋。
それらSFとは全く真逆の知識をもって、そこにSF要素を掛け合わせる。
そして遂にはSFの力で死後の世界を知ることになる……かもしれない。
まぁ、そこは本書を読んで確かめてほしい。
そしてもし死後の世界を知ることによって、その後の世界はどう変容するのか?
情報とは詰まる所、記号化である。
曖昧や空漠な事象が記号化されることの結果とは想像すると、とても恐ろしいものではないかと考える。
芸術が明確な基準によって判断されてしまう。
あらゆる悩みや理想すらも誰もが理解できるものになってしまうかもしれない。
悩みが普遍化すればそれは苦しむことからの解放かもしれない。
しかし同時に自分だけだと思っていた感情や想像が誰もが理解できるデータになってしまったら、果たしてそこに個性は生まれるのだろうか?
先述した芸術には価値は発生するのか?
記号化とは明確な世界を作り出す影響力を持っている。
しかし対して世界をその程度のシロモノへと変化させてしまうのではないか?
死後の世界を知って、果たしてその世界はどのようになってしまうのか?
是非皆さんも本書を読んで考えてみてほしい。
最後に
読みやすいSFを今回も選んでみた。前回は『BEATLESS』
どちらもSFの導入にはピッタリだと思う。
この機会にSF小説の面白さに気付いてみてほしい。
それではこの辺で。
【おすすめミステリー】井上真偽『その可能性はすでに考えた』新時代の名探偵!
先日は青崎有吾の「裏染天馬シリーズ」を紹介した。
この作品ではエラリー・クイーンを彷彿とさせるロジックな推理が魅力的だった。
あらゆる可能性を提示して、それを論理的に少しずつ減らしていく。最後に残った可能性が真実として浮かび上がる、というミステリーのお手本のような推理描写だった。
しかし今回紹介する『その可能性はすでに考えた』では、同じ論理的推理のもと謎を解き明かしていくのだが、その謎解きをする探偵役が一風変わっている。
つまりは、その探偵はその謎が奇蹟であることを証明するために推理をするのである。
あらゆる可能性に関してはすでに考えており、それら可能性をすべて排除したときにその謎は奇蹟たり得る。
奇蹟を求めるための推理。
ここが今迄の探偵とは異なる部分であり、根本的にそれは探偵なのか? という疑問にもつながる探偵役である。
探偵の名は上苙丞(うえおろじょう)
井上真偽『その可能性はすでに考えた』
山村で起きたカルト宗教団体の斬首集団自殺。唯一生き残った少女には、首を斬られた少年が自分を抱えて運ぶ不可解な記憶があった。首無し聖人伝説の如き事件の真相とは?探偵・上苙丞はその謎が奇蹟であることを証明しようとする。論理の面白さと奇蹟の存在を信じる斬新な探偵にミステリ界激賞の話題作。
探偵事務所を営んでいる上苙丞と、上苙に多額の金を貸しているフーリン。
二人が借金について話し合っていると事務所に一人の若い女性が訪れた。
女性の名は渡良瀬莉世(わたらせりぜ)
渡良瀬の依頼は自分が人を殺したか否か、幼い記憶をもとに推理してほしいというモノだった。
上苙は依頼を受け、事件を調べた。
そして遂に依頼人への報告の日。
上苙は分厚い紙束を見せ、この報告書にすべての可能性を検証した旨を伝えた。そしてその結果……
これは奇蹟だと宣言したのである!
しかしその後現れるあらゆる論客たちによって、
推理に見落としはないか?
この可能性は考えたのか?
という推理バトルが繰り広げられます。
まさしく推理合戦の応酬。
ライトな文体で理詰めの推理の連続。
読みやすくも、頭を使う推理描写が多く、読み応えのある推理小説になっている。
首切り殺人
渡良瀬の家族は10年以上前に山奥の宗教団体が暮らす村に住んでいた。
そしてそこで33人の信者が集団自殺をした。
地震が起き、滝が枯れ、それを世界の終わりの予兆として教団の教祖は唯一の逃げ道を爆弾で封鎖。
そして信者の首を次々に斬りおとしたのである。
その事件で唯一の生き残りが依頼人の渡良瀬莉世。
渡良瀬は間一髪のところで「ドウニ」という少年に助けてもらい、そこで意識が途切れてしまった。
曖昧な記憶だが「ドウニ」に抱えられて逃げた記憶があるのだが、意識が戻った時には祠の前で「ドウニ」の生首と胴体が切り離された状態で転がっていたのである。
その現場だけ見れば犯人は渡良瀬莉世しかありえないが、あらゆる状況を鑑みれば、渡良瀬には犯行は不可能だと上苙丞は判断する。
では誰がドウニを殺したのか?
渡良瀬とドウニ以外の信者は外から施錠された拝殿に閉じ込められていた。
やはり渡良瀬莉世が殺したのか?
凶器であるギロチンの刃とドウニの胴体は重く幼かった渡良瀬莉世では運べるはずがない。
そしてドウニを殺した理由・動機は何か?
主に以上の3つが謎の中心である。
現れる論客たち
以上の点から上苙丞はこの事件を奇蹟だと断定した。
しかしそれに反論を提示する宿敵たちが上苙の前に立ちはだかる。
元検察官の大門(だいもん)
フーリンと何やら因縁がある中国人女性、リーシー
かつて上苙丞の助手を務めていた小学生、八ツ星聯(やつほしれん)
そし黒幕の……
この勝負は一見して分かる通り論客たちの方が有利なのである。
論客はバカみたいなトリック、つまりバカミスと言われるとんでもトリックを言っても良い。
偶然が重なった事件だ、と述べてもいいのだ。
しかしそれに対して上苙丞は一つ一つ論理的説明のもと可能性を潰さなければいけない。
偶然というのは何百回失敗しても、その時の1回が成功したらという仮説もありなのである。
上苙丞はそんなトリックでさえもその可能性が絶対にあり得ないという証明をしなければいけない。
推理をする探偵ではなく、推理を否定する探偵なのである。
ある意味では多重解決のミステリーとも呼べるだろう。
ここがこの作品の見どころである。
読んだ感想
この作品は既存のミステリーの定型である、驚くべきトリックを見つけるというところに魅力を置いていない。
あらゆる驚くべきトリックに対して、それは絶対にあり得ないと証明する、その否定的推理描写に魅力が詰まっているのである。
『毒入りチョコレート事件』という海外小説があるが、この作品では推理合戦、多重解決型ミステリーの金字塔を打ち立てた作品として有名だが、この作品の一番の妙は、
最後の最後で結局明確な正解を提示しないことである。
たぶん、おそらく、こういう真相なのではないか、と分かるには分かるのだが、結末部分で明確にはこの真相を言及していないのである。
と言っても結末で驚くべき事実が発覚したことには変わりがないので、是非一度こちらの作品も確かめてほしいのだが。
この作品でも似たような手法をとりながら、やはり探偵役である上苙丞の今までにない探偵像がこの作品の面白さを加速していることは事実であろう。
現実に推理できることを否定し、それが森羅万象、奇蹟であることを探求する探偵など聞いたこともない!
しかして、だからこそ彼には奇蹟を見つけてほしくなってくる。
彼の奇蹟への情熱は上記で述べた論客たちとの戦いにも表れている通りに本物なのである。
そんな情熱にいつしか私は魅せられていたのかもしれない。
とんでも推理を披露する論客たちとそれを鮮やかに否定する上苙丞の激突。
あらゆる方向からの多種多様の推理に、いつしか読者は頭を使い過ぎてパンクしてしまうかもしれないが、最後の最後まで目が離せない作品になっている。
そして結末へと収束していく真実は今までの驚きをもさらに超えたラストになっている。
是非、自分の目で確かめてほしい。
最後に
前回は青春。今回はミステリーと宣言通り作品の色を変えてみた。
次はまたしてもミステリーか? 純文学か? 青春か? それとも、他に何かあるのか?
まだ自分でも決めていないので、何になるのか私も予想がつかない。
さて何を紹介するか。
それではこの辺で。
【純文学】おすすめ青春文学! 町屋良平の『青が破れる』楽しきは爽やかなあの頃、そしてそれは有限【文藝賞受賞作】
芥川賞作家のひとり、町屋良平の処女作。
『青が破れる』
描かれているのはふわりと何処かに飛んでいきそうな、とてもとても軽い言葉たち。
なのにどうしてここまで胸を苦しめるのか?
小学生でも読める文章なのに、表現されているのは大人のための叫びである。
そんな『青が破れる』
さて、どのような作品か。
町屋良平『青が破れる』
ボクサー志望のおれは、友達のハルオから「もう長くない」という彼女・とう子の見舞いへひとりで行ってくれと頼まれる。ジムでは才能あるボクサー・梅生とのスパーを重ねる日々。とう子との距離が縮まる一方で、夫子のいる恋人・夏澄とは徐々にすれ違ってゆくが…。第53回文藝賞受賞の表題作に加え二編の短篇、マキヒロチ氏によるマンガ「青が破れる」、そして尾崎世界観氏との対談を収録。
ボクサー志望の「秋吉(おれ)」は友人の「ハルオ」から彼の恋人「とう子」が白血病で、もう長くないことを告げられる。
とう子は自分が病気で死ぬかもしれないというのに煙草を吸ったりと楽観的な態度をとっている。
彼女に言わせれば確率の問題だと。
死ぬか生きるかは自分の健康に関係ないと言う。
秋吉には恋人がいる。
「夏澄」という女性で夫と息子がいる。
夏澄は優しく秋吉を受け入れる。
息子の「陽」はとても子供っぽいように見えてどこか事実を俯瞰しているような大人びた印象も受ける。それはもしかしたら純粋だからこその客観性なのかもしれないが。
秋吉と同じジムに通う才能を期待された後輩「梅生」
こいつはボクサーを真剣に目指している。だからどこに行ってもトレーニングの一環として、すべてをボクシングのために生きているような奴。
しかし何故だかスパーの相手に秋吉を指名する。秋吉とは実力が違いすぎるのに、彼は秋吉を気に入っている。
以上が主な登場人物。
秋吉は本気でボクサーになりたいのか?
そんな根本的疑問を持ちながら、余命を宣告された友人の恋人やそれに悩む友人や優しい人妻の恋人や、才能ある後輩や……
様々な人物と関わりながら秋吉は青春を過ごしていく。
読んだ感想
とても軽く、爽やかな文体は読みやすく、スッと心に浸み込んでくる。
しかし浸み込んでから感じるのは得体のしれない恐怖だった。
その「青」は楽しそうで、美しく、きらきらした快感のようで、それが自分の身体に侵入すると、たちまち苦しく、切ない感覚に襲われる。
読んでいる直後には分からなかった感覚が徐々に正体を現して私にこの物語の残酷さを突き付けてくるのだ。
秋吉のモヤモヤ感に終始覆われているこの作品は、しかし誰かの視点を想像すれば、彼よりも精神を病んでいる人物が沢山いる。
最終的にその人物たちは秋吉を飛び越えて先の世界に行ってしまう。
それに比べれば秋吉の苦悩は人並みのように感じられた。
秋吉は誰もが所持している曖昧な苦痛、現状への否定感を感じているだけだと思う。
だからこそ私たちはこの物語に登場する人物たちに愛着を持ち、それらを失うことがどうしようもなく寂しく、悲しいのだ。
秋吉からの視点によって作品世界は無条件で普遍性を獲得したのだ。
だから、その世界に居住する彼ら彼女らも一緒の普通であると思ってしまう。
この世界は思った以上に醜く、愚かしい残酷な世界なのだ。
この爽やかさは何だろうか?
透徹な感情は嘘ではないか?
文体が平易で、物語の調子が軽く、透き通っているから錯覚してしまう。
私たちはその錯覚を失って初めて何かに気付かされる。
青が破れる、とはそういうことなのかもしれない。
文庫本に『青が破れる』以外に『脱皮ボーイ』という短編も収録されている。
こちらの作品は『青が破れる』とはまた違った味を染み渡らせた作品になっている。
また町田良平とアーティストの尾崎世界観との対談も収録されていた。
そちらも読みごたえがあるので是非読んでいただきたい。
最後に
ここ最近はずっと青春を描いた作品が多いので、次はもっと青春とは畑違いな作品を紹介したいと思っている。
ではこの辺で。
【おすすめ青春小説】王城夕紀の『青の数学』美しさを競い合う、数学という名の青春!
数学とは美しさを追い求める学問である。
そこに利益を求めるのは別の者でいい。
数学者は難攻不落の謎と対峙する探究者なのだ。
私も数学の魅力を実際に知っているかと言えば、全然分からないのだが、今回紹介する作品を読めば、数学が何だか面白そうなものなんだと少しでも実感できるかもしれない、と思った。
最近では京大の教授が「abc予想」を証明したというニュースがあったが、数学とはまさしくそういった「予想」と呼ばれる謎を証明する学問でもある。
有名な予想では「フェルマーの最終定理」を聞いたことはないだろうか?
約300年間解けなかった世界の難題。
20世紀の最後にしてアンドリューワイルズが解き明かしたのだ。
そこには「谷村=志村予想」や「岩澤理論」といった日本の数学者の理論や予想も関係していた。
この「フェルマーの最終定理」に関してはフィクションさながらの歴史が紡がれていた。
この時点で気になった方はこんな本があるので是非読んでもらいたい。
先日、中田敦彦さんの「YouTube大学」というチャンネルで上記の書籍について紹介していた。
それを観て、そういえば数学って面白そう、と思わせてくれた小説があったなと、本棚を探って、今回この作品の紹介までに至ったのである。
『青の数学』
今回はこの作品について紹介する。
数々の高校生が数学、ただそれだけに青春を費やす物語である。
王城夕紀『青の数学』
作品内では色々な数式が現れるのだが、正直、その数式自体は理解できなかった。
けれど分からなくても面白い!
私たちが読んでいるのは数学の本質ではなく、それに情熱を注ぐ人物たちを読んでいる感覚に近い。
そして彼ら彼女たちが何に対して語り合っているのか、根本は分からずとも、その情熱などが体感できる物語になっている。
数学と聞いて敬遠していた人も、少しだけでも読んでみてほしい。
これは数学についての作品ではなく、数学という名の青春についての作品なのである。
1.『青の数学』
雪の日に出会った女子高生は、数学オリンピックを制した天才だった。その少女、京香凛の問いに、栢山は困惑する。「数学って、何?」―。若き数学者が集うネット上の決闘空間「E2」。全国トップ偕成高校の数学研究会「オイラー倶楽部」。ライバルと出会い、競う中で、栢山は香凛に対する答えを探す。ひたむきな想いを、身体に燻る熱を、数学へとぶつける少年少女たちを描く青春小説。
主人公の栢山はある雪の降りしきる日に女子高生に会った。
その女子高生は数学オリンピックを制した天才、京香凛だった。
彼女との出会いを契機に栢山は数学にのめり込む。
そして彼女の問い「数学って、何?」について考える。
栢山はネット上で数学で競い合う「E2」で決闘を行って、様々なライバルと対峙する。
試合は三日間など日を跨いで行われたりする。長期戦である。長い間、どちらが数学に対して集中を切らさないか。
精神力や時間配分が勝負のカギになってくる。
そんな「E2」のつわもの達が集まる夏合宿では日本各地の数学の天才が一堂に集結。
この夏合宿が作品内で一番の見どころ。
戦ってきたライバルと手を組んで問題を解く。
他のライバルの脱落。
最強の相手と目される強者との対決。
ここまでくるとジャンプマンガのような熱いバトルが繰り広げられる。
そう、この小説は恋愛や友情などを主軸にした青春ではない。
数学を用いた戦いによる、熱い青春なのだ。
少年漫画のように熱いのだ。
数学はカッコイイものだと思えてくる。
数学に向かう若者たちのその情熱の迫力に私たちはいつしか、同じ様に熱い感情を向け始める。
2.『青の数学2 ユークリッド・エクスプローラー』
数学オリンピック出場者との夏合宿を終えた栢山は、自分を見失い始めていた。そんな彼の前に現れた偕成高校オイラー倶楽部・最後の1人、二宮。京香凛の数列がわかったと語る青年は、波乱を呼び寄せる。さらに、ネット上の数学決闘空間「E2」では多くの参加者が集う“アリーナ”の開催が迫っていた。ライバル達を前に栢山は…。数学に全てを賭ける少年少女を描く青春小説、第2弾。
この巻では前作のような熱い数学バトルの連続はあまり見受けられない。
そういった点では前作の方が情熱をひしひしと感じられた。
しかしこの巻では主人公、栢山の数学をする意味についての苦悩が描かれている。
何故ここまで頑張らなければいけないのか?
何故努力するのか?
何故青春を捧げるのか?
栢山は思うように数学に打ち込めなくなってしまう。
こころが折れる栢山。
さて、どうなるか、というのがこの2巻での話。
読んだ感想
2巻以降シリーズの続編は出ていないので、もう続きはないのかもしれない。
2巻の最後も何だかこれで終わりなのかな、という名残を遺して幕を下ろしている。
しかして、この全2巻に数学の青春が詰まっている。
1巻で情熱ほとばしる熱い青春を。
2巻で苦悩で胸を締め付ける哀愁の青春を。
それぞれに数学が楽しい、そして数学が辛い。
表裏どちらとも、数学による青春の両面を描いている。
だからこそ数学がどうしようもなく愛おしく感じてくる。
私はずっと前から数学が好きだったのではないかと思えてしまうほどに説得力のある物語になっている。
数学という、今迄興味を抱いていなかったジャンルにここまで青春を捧げる人間がいるのだと、そしてその青春を捧げる人の姿は素晴らしく美しく素敵だと気付いてほしい。
私たちがまだ気づいていないだけでこの世にはこんなにも楽しそうなモノがまだまだ存在しているのだ!
自分には何もない、何もしたいと思えない人に読むことを勧める。
どんな契機でも良い。
そこにどれだけの情熱を注げれるかで、それが美しいか否かが決まるのだ。
最後に
小説はどんな分野にも囚われない能力を有している。
だからこそ今回のような作品が誕生するのだ。
小説の可能性は無限大!
ということで今回はこの辺で。